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過去ログ
2005.7


感謝のお礼!「望みのメカニズムー13」について / かんどう

望みのメカニズムー13:嫉妬・敵意・憎悪について!・・
ご指導!・・いろいろと有難うございました。しまのさんおように、細部にわたり解説が出来ないのですが、私なりに、私のHPに書き込みました。を御覧下さい!・・・
HPは、http://www14.plala.or.jp/kesakandoです。この中で「誠の愛」のページに、書き込んでおります。なを、与謝野晶子の短歌「柔肌に熱き血潮に触れもみで寂しからずや道を説く君」も同じページに書き込んでおります。
また、「天上天下唯我独尊」の言葉についても、「釈迦の愛」のページに、書き込んで有りますので、御覧下さい。
私の文は、まだしまのさんのように細部にわたる、説明がなかなか出来ません?・・私のHPを御覧頂いて、「ここはこう付け足したら良い」と気が付きましたら、ぜひ私の掲示板に、書き込んでください。
よろしくお願いします

No.674 2005/07/29(Fri) 22:50

 
Re: 感謝のお礼!「望みのメカニズムー13」について / しまの

かんどうさん、こんばんはー。
そちらも頑張っておられるようで、なによりです。

時間見つけてじっくり拝見しようと思います。
今後ともよろしくです。

No.675 2005/07/30(Sat) 00:27

望みのメカニズム-13:嫉妬・敵意・憎悪のメカニズムサマリー / しまの

「望みのメカニズム」という基礎から次の情動変形発展の解説へと移る前に、今まで述べた望みのメカニズムの結果起きる、基本的な帰結的感情について、簡潔にその要点を説明しときます。

その帰結的感情とは嫉妬・敵意・憎悪です。これが不可避として起きます。

まず、望みの停止は深層欲求において浸透します。これは幼少期の、愛と自尊心が未分離な段階における望みの停止に端を発し、その後の心理発達の中で、愛・自尊心そしてアイデンティティにおける深層欲求の停止として引き継がれます。
その結果欲求が皮相・荒廃したものに変形する方向性ができています。

望みの停止は最初、何らかの不適切な環境によってもたらされます。まあ大抵は親など。
次に、本人の心に、この状態と親和性の高い特有の「心の使い方」が定着します。自らは望まず、他者の評価を通して望むという心の使い方です。
この心の使い方は、しばしば道徳としても植え付けられます。

このような心の状態になった人間は、望みを叶えることが実際のところ難しくなります。現実世界に合ってないからです(これもちょっと乱暴な表現ご容赦^^;)。
結果、皮相化した欲求もフラストされた時、はっきりと自分の不充足状態を自覚することになります。苦々しい状態です。
この結果、嫉妬や敵意や憎悪が他者に向けられます。そうゆうメカニズムになっています。

憎悪は、苦しみを与え続けるものへの、破壊的敵意感情です。
苦しみは、最初の望みの停止段階で既に始まっています。苦しみの原因は望みの停止であり、怒り憎悪は望みを停止させるものに対して向けられます。
そして、自らは望まず他者を通して望むことにおいて、他者が望みを停止させるものになります。この結果、怒り憎悪は他者に向けられます。


重大なのは、これが心の唯一のメカニズムなのではなく、敵意や憎悪を全く起さない他のメカニズムと、何によって違いが起きたかということです。
「自らによって望む」という心の使い方が阻まれ、「自分からは望まない」という心の使い方をする、その一点の変換の結果による、必然的帰結であることです。

なぜ「自らは望まない」と、他人に敵意や憎悪を抱くことになるのか。
自己による望みの停止、そして深層における望みの停止が無意識化するからです。

この結果、望ましくない事態に合うと、無意識化したメカニズムをバイパスして、自動的に他者への怒り憎悪が起きます。

これが情動変形の過程でかなり基礎的な役割を果たしているので、十分理解したいところです。
無意識化した、 自己による望みの停止と深層における望みの停止を意識化する感情分析の実践は、敵意や憎悪の軽減化に役立つでしょう。

ただし、心理障害傾向からの敵意や憎悪の解除は、それだけでは不可能です。さらに別のメカニズムが加わっています。
問題が心理発達課題の損失に始まっているということです。最初に損失を受けたのが、まさに「自尊心」なわけです。
その後のメカニズムを引き続きシリーズを移して解説します。

No.668 2005/07/25(Mon) 19:29

 
Re: 望みのメカニズム-13:嫉妬・敵意・憎悪のメカニズムサマリー / yamano

はじめまして。しまのさんm(__)m
時々読ませて頂いてます。そこでちょっとお聞きしたいのですが・・

>このような心の状態になった人間は、望みを叶えることが実際のところ難しくなります。現実世界に合ってないからです(これもちょっと乱暴な表現ご容赦^^;)。
結果、皮相化した欲求もフラストされた時、はっきりと自分の不充足状態を自覚することになります。苦々しい状態です。
この結果、嫉妬や敵意や憎悪が他者に向けられます。そうゆうメカニズムになっています。

憎悪は、苦しみを与え続けるものへの、破壊的敵意感情です。
苦しみは、最初の望みの停止段階で既に始まっています。苦しみの原因は望みの停止であり、怒り憎悪は望みを停止させるものに対して向けられます。
そして、自らは望まず他者を通して望むことにおいて、他者が望みを停止させるものになります。この結果、怒り憎悪は他者に向けられます。

とありますが、その向けられた他者は・・それに対してどう対処すればいいのでしょう?
そういう感情が結局は本人は罪の意識も自覚もないまま、勝手な思い込み等で
人を恨んだり妬んだりで・・憎悪を膨らませた結果が現代社会においての様々な事件や
犯罪の要因にもなっていて、他人や家族、自分の命さえも顧みないものになっているのではないかという不安と恐怖を感じます。これからは人と人の繋がりも慎重かつ冷静に
色々な視点からの見極めが必要だと思いました。

No.672 2005/07/28(Thu) 17:11

 
Re: 望みのメカニズム-13:嫉妬・敵意・憎悪のメカニズムサマリー / しまの

こんばんはー。

まさにそれがハイブリッド心理学で推奨する対人行動法ですね。建設的対人行動法です。共通目標共通利益のみに着目する行動法です。
ハイブリッドでお勧めする対人行動法は、どんな相手に対しても、どんな関係においても、これだけです。ワンパターン^^;

上のご質問からの文脈で説明するなら、この行動法は、行動の底にある感情を、一切問いません。
相手がどんな皮相な欲求から近づいてきた(*)のであろうと、そこに一片の共通目標共通利益があるのなら、それに着目して、積極的建設的な行動をあと押しします。
*ただしこれは相手を見て分かるものではないし、「見抜く」というような発想はなしです。あくまで本人の心の中の問題です。

また、相手がどんな嫉妬や憎悪からの行動に走ろうと、その感情を取り上げて相手を否定することは、一切しません。共通目標共通利がなければ、何もしないだけです。危害をこうむる可能性があるなら、自衛策を講じることです。最悪の場合は法で対処します。
感情には依存しない行動法です。

>勝手な思い込み等で人を恨んだり妬んだりで
>他人や家族、自分の命さえも顧みないものになっているのではないかという不安と恐怖を感じます。

確かにまあ昨今の事件にはそんな感じのが実に多いですねー。
まぁ解説した「自らによる望みの停止」はもう現代人の基本的傾向とも言えるので、恨み嫉妬の潜在性にはどこでも出会うでしょう。

ただ僕としては、人間同士の軋轢というのは、主に「望む思考」同士の間で起きるという実感を持っており、片方が「望む自由」原理に立っていればもう起きないという実感を持っています。
(7/24「望みのメカニズム-12:「望む資格」思考に対抗する「望む自由」原則」)
僕自身はもう「望む自由」思考しかしてないので、この社会とか人間関係については、どんな恨み妬み深い類の人とも結構うまくやってけるような、お気楽な感覚でいるんですけどね。。

No.673 2005/07/29(Fri) 00:34

残存愛情要求とは何か-3:残存愛情要求の心理要素 / しまの

残存愛情要求とは、特定の感情のことではなく、特定の感情傾向が生み出されやすい状態のことを言う。
ではその感情傾向とはどんなものか。
意識表面としては大雑把にいって「愛が必要」という感情なわけですが、その感情の色彩をじっくり吟味していくと、幾つかの心理要素を見分けることができます。

これらを、自分自身の体験において感じ分けることが、感情分析の実践に他なりません。

1)自尊心のために愛が必要だという感情
残存愛情要求が「自尊心の獲得」という幼児期心理発達課題の損傷と共に生まれることからして、これが最もこの後の障害発達過程に大きな役割を演じる要素になるでしょう。
愛された時に自尊心を感じることができる。

これは思春期以降の心理発達課題に「愛と自尊心の分離」というものがあることと、見事にバッティングします。
その結果この心理要素に対する個人の態度は、かなり混迷の様子を示すようになります。
愛を求める様子が自尊心の欠乏を感じさせると、プライド衝動による抑圧の対象になります。愛されることがプライドのために必要だというニュアンスが強くなってくると、自己中心性への嫌悪という危険分子が出てきます。

2)宇宙愛への要求と一体化幻想
上の「自尊心のために愛が必要」というのが感情の内容として、この「宇宙愛との一体化幻想」がその器になります。

宇宙のように自分を包んでくれる、無限の愛への欲求です。これは健全な心理発達においては、親が子供への無限の愛を持つことが本来の姿だったという心理成長の姿が想定されます。それが損失されたまま、その欲求が残存する。
これは単に「愛」において自分が取り囲まれることへの欲求ではなく、他人の心が自分を取り囲む宇宙のように体験されるという、幻想的心理傾向を伴っています。この点が病理性を含みはじめます。
2005/04/05「望みの停止問題-7」などを参照下さい。

3)愛への願いの残存
無垢で純粋な心理要素です。純粋に愛を願う感情。
今回これを「残存」として初めて扱うようにしたのは、この感情の開放が人間の心理成長にとってクリティカルなものであり、本来は幼児期にこの感情が旺盛なものが、心理成長と共に低減すると想定できるからです。
この「低減」は、「愛の種類の配分」の変化でもあります。幼児期に旺盛な愛への願いとして端的なものが「一体化の愛」への欲求です。心理成長と共に、一体化型ではない、普遍の愛が基調感情を支えるようになり、一体化の愛は限定化すると共に強さを増します。その結果「親の愛」として子供だけに向けられる宇宙の愛になります。

上の「宇宙愛への要求」と区別するのは、特に治癒過程において、幻想性病理性を含まない極めて純粋な、愛への願いの感情を見出すことができるからです。
また一体化幻想がしばしば、愛されるだけではなく、嫌われたり、ひどい目に合わされたり、無視されたり、おだてられたり、批判されたりする、あらゆる外界との関係において充足を求める結果、外界に対する敵意を媒介する点で、この感情は完全に区別されます。
(2005/04/06「心の手術-2:何が崩壊するのか」参照)

そしてこの純粋な愛への願いの感情こそが、人間の心の成長の「種」だという実感を、僕は持っています。
この感情の開放なしには、心理障害の軽減は可能ではあっても、根本的な人間の変化はできないと考えています。

この感情は、障害傾向人格の発達過程においては、偽装もしくは抑圧によってまず純粋な形では存在しなくなります。
詳しい様子を描写し始めると本が書けちゃうほどですが、ぶっちゃけた表現をすると、「純真ぶる」態度の中で純粋が見えなくなり、「子供じみた」みっともなさから抑圧されるという感じ。

治癒過程では、これが純粋な形で体験されると同時に、それは現実においては満たされ得ないものであることの自覚が重要な役割を果たすことが観察されます。
なぜ満たされ得ないかと言うと、その感情は純粋であっても、それをひとつの感情として持つ個人全体は、純粋な存在でなないからです。それを自覚し、不完全性を受容することが、障害傾向人格の発達過程そのものを根本治癒へと転換させるものになるようです。

なぜそうなるかのメカ論ができれば正真正銘の理論完成となりますが、今回そこまで行くかどうか。。
とにかくひとつひとつの言葉それぞれでまた長い解説ができるような事柄を書いていますが、メカニズムの要をざーっと押さえて行きます。

No.671 2005/07/26(Tue) 19:12

残存愛情要求とは何か-2:残存愛情要求へのアプローチ / しまの

まず、残存愛情要求とは何かの定義をずばりまとめます。

サイトの感情メカ論では、残存愛情要求の位置付けがまだかなり小さいです。障害傾向人格において特有な感情という、意識の表面からみた幾つかの特徴だけ描写しています。
http://tspsycho.k-server.org/mech/mech02-012.html
http://tspsycho.k-server.org/mech/mech03-012.html#az
など。
障害感情メカニズムとして理解する分には、それらの記述でもまあ結構イケてるんですが、実は治癒論から見ると、根本的な抜けがあります。
これから説明しますが、「愛への願い」という純粋な要素もやはり残存している(*)らしいことです。感覚的言い方すると、これは色んなニセモノに混じったホンモノです。これが残存愛情要求と一把ひとからげに抑圧されると、心の成長が止まるようなんですね。
残存愛情要求の不合理性を克服する一方で、この「愛への願い」の開放が治癒の条件になるというのが現在の結論です。
これは残存愛情要求の崩壊とも言える、極めて深い情緒体験となります。
*ということは、健全な心理発達の場合これが残らないという、我々人間の心理成長についての波乱含みの見解を述べることに、実はなるかも知れません。しかしこれは我々自身の人間理解がいかに多様であり、さまざまな知的情緒的軋轢、特に「健常者」と「心理障害者」の間に起きるそれという現実を、むしろ説明するのに沿った話になるでしょう。

順を追って説明しましょう。

■残存愛情要求とは特定の感情のことではない

残存愛情要求とは何かを理解するにあたって、まず留意しておかねばならないのは、それは意識に現れた結果の、特有の感情を指す言葉ではないということです。
意識に現れる特有の感情のことではなく、特有の感情を生み出す状態のことを、残存愛情要求と言っています。

別の表現をすると、残存愛情要求は、それだけが純粋に体験されることはありません。必ず他の何かの心理要素と合成された結果が、特定の感情になります。

たとえば、残存愛情要求の最も直接的な意識表現、「自分には愛が必要だ」という感情は、不安や恐怖の中和という面では、残存愛情要求よりも感情の膿が重要な供給源になります。
「自尊心のために愛が必要」という感情色彩も、残存愛情要求だけではなくプライド衝動から供給されることがあります。
ちょっと分かりやすい説明でないかも知れませんが。。

別の例を挙げると、性愛欲求は明らかに残存愛情要求により強化されます。その場合も意識体験上は単に性愛衝動が高まったのを感じるだけです。

そんな感じで、残存愛情要求というのは、意識に現れる感情そのものよりも、幾つかの感情を湧き出させたり、強化したりする傾向の元になる、エネルギー源のようなものを言うわけです。
音楽のステレオ装置に例えると、そこから奏でられる音楽のことではなく、音楽の音色を左右するアンプ装置のようなものですね。分かりやすい例えかな..^^;

アンプ装置ということで、音が処理される枠組みと、音の色づけというものが出てきます。
それを次に説明します。

No.670 2005/07/26(Tue) 17:06

残存愛情要求とは何か-1:おさらいと俯瞰 / しまの

完成版島野理論(たぶん^^;)の解説シリーズとして新たに、ずばーり(@_@)/「残存愛情要求とは何か」というのを書きます。

自尊心の獲得という最初の心理発達課題の損失を契機にはじまる心理障害の人格発達過程としては、まず「望みのメカニズム」シリーズで解説したような、心理障害特有の病理構造には依存しない、基本的な情動の変形つまり皮相化や荒廃化がある。
その縦の流れに加えて、3つの、心理障害特有の病理構造が派生するわけです。感情の膿残存愛情要求、そして自己操縦心性です。

このうち感情の膿については、基本的説明は大体済みです。インデックスなど参考あれ。
残存愛情要求についてはいろんなテーマに触れながら解説したものの、正面からこの全体を整理するのはこの「残存愛情要求とは何か」になります。
自己操縦心性についてはそのメカ論を既にかなり書いていますが、治癒論的な結論はこれからです。結局何が心理障害を維持させているのか、脱却のためには何が必要かを、ずばり取り組む本人の実感として理解してもらうことを目指した説明を今後試みませう。

ということで残存愛情要求ですが、すでに結構重要な解説をあちこちでしてますので、参考まで重要なカキコをここにリストしておきます。
今回は全体整理に重点を置き、それらと重複しそうな描写はなるべく省略しますのでご了承。

2005/04/0 1望みの停止問題-6 2005/04/05 望みの停止問題-7
残存愛情要求の基本的な特徴について書いています。
2005/05/09 望みの停止による情動の変形・序説 2005/05/11情動変形の核メカニズム
情動の変形過程に残存愛情要求が絡んでくる状況。今後の解説はこれをさらに本格的に展開するものになります。
2005/04/21  「洗脳の心理」と「自己の重心」
「委ね」という心理要素について。
2005/04/23 人間関係における自己嫌悪の克服:「真の向上心」への切り替え-1-4
対処の考え方。
2005/05/21 不完全性の受容という選択
総括的。操縦心性も含めた「結論」はこれをさらに展開するものになります。
2005/04/08 小説ダイジェスト次のUp予定
「結論」のひとつを最後に書いています。なぜ心理障害の根本治癒が困難なのかは、これです。
2004/11/14 自己操縦心性のついたウソ-9:操縦心性がついた破壊的な嘘 2004/11/17 自己操縦心性のついたウソ-10:操縦心性と残存愛情要求のメカの違い 2004/11/18 自己操縦心性のついたウソ-11:操縦心性のウソが破壊する「傷ついた者への愛」
2004/12/12 自己操縦心性のついたウソ-12:能動的外化により完成する操縦心性のウソ

残存愛情要求と自己操縦心性の相互作用の結末を解説します。治癒論のひとつの結論も出ます。

No.669 2005/07/26(Tue) 15:42

望みのメカニズム-12:「望む資格」思考に対抗する「望む自由」原則 / しまの

「望む資格」思考は心の成長にとり癌細胞のようなものだと先のカキコで述べましたが、
では望む資格思考から脱出して、心の成長にふさわしい考え方をするためにはどうしたらいいか。

これは2つの事柄が必要と思われます。

第1に、望む資格思考に対抗し得る、全く別の思考法をはっきりと知ることです。これを十分に身につけてこそ、自分の持つ望む資格思考が浮き彫りになり、真剣にそれが自分の今後使うべき思考法なのかの検討の遡上に上がる気がします。
望む資格思考とは全く別の思考法を理解しないまま、望む資格思考が自分の中に現れたのを見つけ、「これが駄目なんだ」と考えたところで、同じ轍の中のような。

その別の思考法が、「望む自由」の原則に立つ思考法です。
これは思考法というより、多分に、行動法の問題になります。なぜなら、望む自由の原則とは、誰が何を望もうと、それによって自分が不利益をこうむることであっても、「そんな望みを抱くべきではない」という思考法は一切使わないことを意味するからです。
しかもこれを、相手との軋轢なしに解決する行動法が求められます。

我々が子供の頃に学んだ道徳には、これはありません。まず、望みそのものを制御するのが方法です。そのために善悪観念があります。悪いことを望む人が出ないよう、とにかく心の中で押さえつける方法を選んでいます。
そのかわり、自分に都合の悪い望みを抱く人が目の前に現れると、対処がとても下手です(ちょっと乱暴な表現かも^^;)。

推奨する行動法は、良好な人間関係を育てるためとしてハイブリッドでお勧めしている行動法と同じです。
建設的対人行動であり、共通利益共通目標のみに着目する行動法です。行動の裏にある感情や意図は一切問わない行動法です。
相手がどんな善人であろうと悪人であろうと、相手の行動が客観的現実的に良い結果を生むのであれば、手を握るし、そうでなければ離れる。
実際この思考法行動法の世界では、善人と悪人の区別がなくなってきます。

これは、感情に依存しない行動法です。いったん感情抜きに立ち振舞うことを学ぶような感じになるかも知れません。
人間味がない、味気ない、と感じる方も少なくないかも知れません。

でもまあ実際に人生の中で長くそれを、特に社会人生活の中で実践した経験から言うと、感情に依存しない行動法を習得することによって、逆に感情が守られる、という感覚を僕を持っています。
つまりこれは心のメカニズムの話というより、ノウハウの話です。

なぜ感情が守られるのか。難しい話は抜きにして直感的にも言えるのは、行動の裏の感情や意図をいちいち人前で吟味されながら行動するような生き方は、非常にストレスが大きいと思います。
感情は心にしまい、外面の行動は建設的なものだけにする。
それを徹底することで、心に次第に、基盤の強固な安心感が育ちます。それは社会における自分の行動能力の自信でもあります。
そして自信が育つと、肯定的な感情が多く湧き出るようになってきます。内面の感情や意図を自分であまり気にしなくても、回りと調和し役に立てる行動が取れるようになってくる。
自分を意識することのない、本当の自信が育ってくるわけです。

まず第一歩は、そのような思考法行動法をまず知ることです。どう変えればいいのか、他の選択肢を知らないまま、「望む資格」思考は良くないと考えても、進む道は見えませんね。

次に、望む資格思考のさらなる背景を理解することが大切になると思います。
なぜ「望む資格」という感覚が生まれたのか。多分それがないと自分の存在そのものが否定されるかのような価値があったのです。
それを理解するというか、感じ取った時、初めて、それを引き続き持ち続けるか、それとも捨て去るか、自己存在を賭けるかのような真剣な問いの遡上に上がると思います。

それについての解説は、この「望みのメカニズム」シリーズを受けた形で整理する自己操縦心性の解説の中で行う予定。

No.667 2005/07/24(Sun) 00:23

天上天下唯我独尊について / かんどう

望みのメカニズムー11:停止された望みの開放とは?・・・だいぶ細部にわたり大変勉強になります。先日ご指導いただいた?・・与謝野昌子の短歌「柔肌の熱き血潮に触れもみで寂しからずや道をを説く君」は大分理解出来ました。有難うございます。私も仏教を大分勉強したのですが?・・・釈迦の言葉で、六波羅蜜は、般若心経を日本語に訳したもので有ることは、大分勉強したのですが
「天上天下唯我独尊」について少しわかりやすく説明いただけませんか・・・・また、何と読むのですか?・・・教えてください?・・・
学歴の無い凡人に是非教えをお願いします。

No.665 2005/07/18(Mon) 20:58

 
Re: 天上天下唯我独尊について / しまの

こんばんはー。

僕自身は仏教について専門的勉強はしてないです。なのであまり説明するような立場じゃないと思いますが、知ってる範囲およびハイブリッド心理学との関連について。

読みは「てんじょうてんげゆいがどくそん」じゃないすかねぇ。
お釈迦さまが生まれた時にいきなり言った(フォフォフォ)らしい言葉。
http://www.shinrankai.or.jp/qa/qa0103.htm
など参考に解釈するに、これは、天の上(あの世)にも下(この世)にも、全てを通じて我(自分)という人間は唯一の存在である。全ての人間が唯一の存在であり、そのことを尊ぶが良い。ということではないかと。

これはまさにハイブリッド人生心理学の基本思想と重なりますね。
基本的自己受容です。心の成長のために、自己が唯一無二の存在として成長する存在であることを認めることです。独自の内容と独自の速度で成長する存在であるということです。「こうじゃなきゃ駄目!」という考え方をやめることです。

上記参照のHPのちょっと見ると、「絶対の幸福」とか、色々と興味深い言葉がありますね。
言葉は違っていても、目指すものは案外同じものだったりするのでしょうな。

No.666 2005/07/19(Tue) 21:41

望みのメカニズム-11:停止された望みの開放とは / しまの

望みのメカニズムについてあとちょっと加えておきます。
望みの停止から情動の変形つまり皮相化や荒廃化が起きる、「人生における望みへ向かう」ことが心の成長治癒の原動力となる、という話をしていますが、では実際のところどのようにして停止された望みが開放されるというのか

まだこれが雲にまかれた話のように感じておられる読者さんも多いのではと。
実際それは一面的に考えていたら方向を見失うテーマになると思います。

まず間違いなくはっきりと言えることは、それは「望みに向かう自分」「望みを抱く自分」を力づくで自分に強いることではない、ということです。
多分、それが今までの姿勢であり、心の使い方だったと思います。

でもその姿勢によってまさに、望むことができなくなるんですね。
まず力づくの姿勢によって、本当のところ自分が何を望んでいるのか分からなくなります。
次に、そのストレスを含む姿勢からの逃避を求める感情が生まれてきてしまいます。この矛盾に満ちた状態から目を反らすために、「自分は本当にこれを望んでいるんだ」と思い込む必要が出てきます。

これが自己操縦心性の機能に関係してきます。この「思い込み」を、「深層意識」どころではない人格構造のレベルで果たすのが、自己操縦心性です。
いずれもう少し詳しい解説をするかと思いますが、感情の偽装とはこのことです。これがうまくいって表面上は「これでいい」という状態がかもし出されることもありますが、基本的には極めて不安定でストレスに満ちた状態です。
何のストレスかと言うと、ニセへの憎悪であり、ニセの自分への自己嫌悪です、

取り組み上は、まず基本的自己受容。唯一無二の存在として自分を受け入れることであり、心の成長を目指す意志。
そして次に、本格的な自己理解の過程で、このニセへの憎悪や自己嫌悪と取り組む必要があるでしょう。「ニセを許す」価値観というものが大切になってきます。
さまざまな感情分析を通して、抑圧を解除する。自分の思考を問い直し、表面的な道徳を捨てる。

そうしたことを通して、自分の望み、もしくはその停止状態を、ありのままに感じ取れる状態が回復してきます。

そして間違いなく、望みに恐怖が結びついているでしょう。これが、スタートラインに戻ったということなのです。
ここから先が、「魂の成長」の道のりになります。

今までの、力づくの姿勢ではなく、自分の魂の声に耳をすませ、その導きに委ねることです。
その導く方向に向かう道のりが用意されます。それを選択するか。もしその場所に来たのであれば、それが「選択」であることが見えてくるでしょう。

恐怖におびえる自分を優しくいたわり、行動をやめ痛みを癒すことに向かうのか。その時悲しみの中で偽装された望みは消え去っていくでしょう。
可能性に向かって、震える体をあと押しして、望みをぶつける現実へと踏み出すのか。たぶんその後には操縦心性の崩壊と感情の膿の放出が待っているでしょう。
これら全てを通して、魂が成長します。痛みが癒え、恐れが根本的に克服された時、魂そのものが、望みの源泉の力を増す。

その結果、望みが回復します。

そんな過程ですね。「望みに向かって生きる」というのは、「望む感情」を望ましいもの、「退く感情」を望ましくないものと見なし、望む感情になるよう努力することなどでは、全くありません
人間は変化します。そしてその変化の底に、人生における望みという源泉があることを理解することです。その源泉をめぐって起きるさまざまな感情を受け入れ、それによって生かされ、変化していく存在として自分があることを、受け入れることです。
そんな「望み」に向き合い続けるという意志です。


それが「望みに向かって生きる」ということです。

No.664 2005/07/18(Mon) 12:39

望みのメカニズム-10:「望む資格」思考という癌細胞 / しまの

望みの停止に関するメカニズムを解説してきましたが、ではなぜ望みの停止が起きるのかという話。
ここからはメカニズムではなく、それをどう使うかという、「心の使い方」の話になってきます。

同じ心、つまり脳というメカニズムを持った人間の中に、違う心の使い方をする者が現れる。
それは文化を通して引き継がれていきます。芋を洗って食べる猿の群れがあるという時、それはその群れの猿の脳が他の猿に比べて進化したわけではなく、そうゆう「使い方」がもとからあり得るのを、その群れの猿のある一匹が始め、やがてその群れの文化として広まったということです。

「心を解き放つ」という心の使い方と、「心を縛る」という心の使い方の違いの話になります。
「解き放つ」とは、「あらゆる可能性を尽くす」ということです。
「縛る」とは、「枠をはめる」ということです。「可能性を尽くさない」ではなく、「可能性はないものと決めつける」ことです。

望みの停止を起こす、心を縛るような心の使い方とは、具体的に言えば、「望む資格」思考のことです。
自分には〜する資格がない。あんな人間に〜する資格なんてない。そんな思考の中で、望みそものもを持たないことが良いことであるかのような意識状態になるわけです。

これは明らかに怒りの感情の中で取られる思考です。喜びの感情の中でそんな思考が持たれる状態なんて、想像つかないですね。
怒りの感情であるとは、それ以前に、何か追い詰められた状態が起きているということです。
まあ、回りの人間や社会に受け入れられることについて、でしょう。

望む資格思考とは、それ自体でもう「自分からは望まない」という姿勢であり心の使い方と言えるでしょう。
では何によって望めるか。主に3つの原則があるように思われます。
1)人のため。人の期待に応える。もし相手が私にそうすることを期待しているのならば、私はそうすることを自分の望みとして感じることができる。これは友和の原則の方向かと。
2)何か高い価値を持つものは望むことができる。これは競争の原則の方向にあるでしょう。従ってこの感覚を自分から持つことは「傲慢」という、人に嫌われるニュアンスを供えることになり、ややはばかれる傾向になるでしょう。
3)辛い者は望むことができる。思いやりの原則の方向。ここに、「苦しみの価値」という屈折した心理要素が生まれます。

苦しみにより、「救いを望む権利」が生まれる、という公式です。この公式は重力の法則にも似た、強力な通用性があるようです。苦しみの度合いが増すと、それに応じて権利も法外になってきます。
星の重力がある限度を超えると、物質が崩壊し光さえも抜け出ることができないブラックホールというものが生まれますが、人間の心理においてもそれに似た現象が起きるように感じられます。救いへの要請が他者を飲み込むような姿。永遠の愛への要求。過去を変えることへの要求など。

こうした「望む資格」思考によって、「自分からは望まない」という姿勢が広がることになります。我慢が大切。
望みの停止が既に起きている状態、かつそれを自覚しない状態なので、苦しみは漠然として背景的なものとして流れています。
でもその漠然とした苦しみの感覚によって、自分は望む権利を得るのです。論理が自己完結しています。

既に述べたように、これは心のメカニズムの話ではなく、心の使い方の話です。このような心の使い方をするのが、人類における社会文明と共に生まれているということです。
同時にこれが、「善悪観念」のひとつの源流だと言えるでしょう。こうした「望む資格原則」を守ることが善であり、破ることが悪である。まあそれで社会の秩序を生み出すことができるわけです。
そのため、善であることは、「望む資格があり、辛い」状態というものに、人々が多少とも疑問を抱きながらもなるわけです。同時に、「人は何のために生きるのか」という疑問が漠然と流れている状態です。

望む資格思考は、心の成長にとって、癌細胞のようなものだと考えています。「成長」とは「自らによって幸福になれる能力の増大」だからです。
小さな望みの停止に始まったものが、やがて善悪思考の中で自己破壊へと発展し、憎しみの中で破壊し合う人間達の歴史へと膨張する。

この膨張のメカニズムは、今後解説する、情動変形の中身や自己操縦心性の話などで都度触れていきます。

No.663 2005/07/16(Sat) 13:07

望みのメカニズム-9:人が「断たれた望み」を知る時 / しまの

ちょっとワンポイントで、「望みが絶たれた状態」の意識体験の話など入れておきます。
望みが絶たれるきっかけの「望みの停止」がなぜ起きるのかの説明を次のカキコで。

望みが断たれた状態、つまり「絶望」というものは、根本的には「望みの停止」により起きる。つまり実は「断たれた」のではなく「断った」のであり、多分に本人の「選択」なのである。ということがまず言えると考えています。

しかし人はそのようには感じません。「望みが断たれた」のであり、それは外部の何かによって断たれたのだと感じます。
生育期の環境や親の態度によって。社会によって。あいつのせいで。運が悪くて。容姿や能力のせいで。バチがあたって。


こうなるメカニズムですが、望みの停止の初期段階では、「自らによる望みの開放」の停止がまず定着します。
そして他者や外部の何かに依存して、望みを持てるという状態になる。実際にはもうこの段階で望みの停止は起きているわけです。本人は当然そのことを意識しません。意識しないから、外部の何かを当てにしているわけです。
あとは文字通り運つまりその人間が置かれた偶然によります。運がよければ与えられるだろうし、悪けりゃ悪意にとり囲まれて汚され、搾取され、「与えられる」望みが断たれるという心理状態になるでしょう。

結果として、絶望感には「〜のせいで」という観念が伴うのが自然の流れになると思われます。
これが心理障害傾向の発達過程です。

一方、治癒成長過程では、ひとつには「選択」の見直しが行われます。
まず自らによる望みの停止状態を自覚することからですね。次に、自ら望みを開放できる可能性を探ることが行われるでしょう。やがて今まで停止状態だった望みを開放するという選択が成される。

もうひとつ、「建設的絶望」の過程があります。
建設的絶望というのは今まで何度も使っている言葉ですが、メカニズム論からの定義はまだしてないんですね。なぜならそれは自己操縦心性の崩壊とほぼイコールなわけです。操縦心性のメカ定義もまだ未了。
それは感情の偽装にかかわります。にせものの感情でもうそれ以上いることができないという心底からの自覚のような現象です。そしてその偽装性が完全に無意識なるのが操縦心性の機能です。

つまり、建設的絶望においては、望みそのものが根本的に矛盾しており、根本的に満たされないものであったことを、今まで他者や外部のせいにして体験していたものを、その大元の、自らによって断たれる状態を自覚することになります。
おうおうにしてそれは「絶望し直す」体験になります。

自ら望みを開放する「選択」への真の可能性が、そのあと開かれます。

No.662 2005/07/16(Sat) 10:38

望みのメカニズム-8:望みの達成・消化・停止 / しまの

「望み」つまり人間の欲求の基本メカニズムについて、ごく基本的な話でいままで触れなかった点を追加しておきます。

望みの「停止」という話をしているわけですが、そもそも望みにはどのような終結の形態があるのか、という話。
こうゆう基本的な話をする心理学があまりなかったような気がしますねー。今さらながら呆れ驚く話ですが。

望みの終結の形には、1)達成、2)消化、3)停止という3つの形があると考えて良いと思います。
1)達成は、望みがかなったと言える、ある姿の基準があり、その通りになったということです。
2)消化は、望みに向かって歩む努力が尽くされ、その努力をしたこと、歩んだことそのものへの満足感の中で、望みそのものが消えていくことです。
3)停止は、望みの感情が禁止されることによって意識から消し去られることです。抑圧。

「人生における望み」という大きなテーマを考えた時、僕自身としては実感として、「消化」と「停止」のどちらかで大体語れるのではないかと考えています。
つまり「達成」というのは、あまりないのではないかと。
これは「人生における望み」というのは、深層欲求に関わるからです。深層欲求というのはあまり明瞭な形を取りえない、自己の存在のあり方のようなものに関する欲求です。一方、「達成」という姿は、皮相化された欲求や、外側からの望みから描かれるものです。

深層欲求や内側からの欲求には、あまり「達成の姿」はなく、むしろその望みに向かって歩むことそのものに、充実感や喜びがある、という形になります。
そのため明確な「終わり」はあまりない。終わりは人生の節目という感じになる。
心理学視点から言えば、発達課題の満了とも言えます。心理発達課題とは、明確な「達成」の姿ではなく、「消化」され吸収されるような形で遂げられるわけですね。

もちろん意識表面上は、具体的に達成したい姿や目標があり、達成できた歓喜や果たせなかった悲しみなど多彩な感情があるだろうけど、人生という長い目で見れば、案外同じで、どこまで可能性を尽くしたかという「消化」の度合いが、人生への満足度に影響しているように思います。

つまり、人生における望みには、もともと「達成」なんてないかも知れないんですね。
それを「達成」する姿と勘違いした時、到底達成できなそうなものは最初から望まない、という「望みの停止」に至るという、人間のある思考形態があります。


それが「望む資格」思考です。

これについても簡潔に解説をカキコしとこうと思います。

No.661 2005/07/14(Thu) 23:04

「欲求の変形は望みの停止を契機にして生じる」 / かんどう

こんばんは!・・かんどうです!・・
しまのさんの、ハイブリット心理学が少しずつ理解出来はじめてきました?・・
欲求の変形は望みの停止を契機にして生じるの言葉は、相手を好きだと心に思って、相手に、ちかずき、相手にことわられた時に、欲求が変形すると理解して良いですか?・・相手に断られると、益々相手を自分のものにしたくなる?・・
ストーカーや、痴漢は、欲求の変形と思うのですが、いかがですか?・・・
あまり、あからさまに表現すると、しまのさんの掲示板を汚す事に成りますので、
あとは、私のHPに、現在書き込んでおります、よろしかったらどうぞ!・・・

No.659 2005/07/13(Wed) 21:26

 
Re: 「欲求の変形は望みの停止を契機にして生じる」 / しまの

こんにちはー。

心理学基礎講座みたいな話になりますが、何を説明しているかの話。
まず、目の前で起きる「現象」と、それを説明する「メカニズム」というものがある、ということを考えるといいですね。
例えで言うと、「急に空が暗くなり雨が降ってきた」という気象現象というものがある。
それは、「寒冷前線が通過して雨雲が発生した」という気象メカニズムによるものである。

心理学も同じで、どんな心理現象がどんな心理メカニズムによるものかを説明しようとするわけです。
で、

>相手に断られると、益々相手を自分のものにしたくなる?・・
これ自体は「現象」ですね。メカニズム説明ではないです。

相手に断られても、さわやか前向きに、別の相手を探そうと努力する人もいます。
1度断られただけでストーカーに変貌する人もいるし、100回断られてもけなげに次の女性にアプローチする人もいます(101回目のプロポーズ^^;)。
この違いは何か。別の心理メカニズムが働いているのではないか、となるわけです。

ここでは、「健康な恋愛感情」「ストーカー衝動」という種類の異なる欲求がある。
ではストーカー衝動はどのようにして生まれるのか。
「相手に断られると」。違いますね。
今言ったように、断られてもストーカー衝動は起きない人がいます。そのほうが普通です。

人間性そのものが違う、という話になるわけです。「健康な恋愛感情」の持ち主「ストーカー衝動」の持ち主
後者は相手に断られるとストーカーに変貌する可能性が高い。「断られる」は引き金に過ぎません。
では人間性がなぜ変化したか。それを欲求の変形として説明しているわけです。

そしてそのような「人間性の変化」ともいえる「欲求の変形」は、単なる「メカニズム」ではなく「発達メカニズム」と言います。専門用語ですねー。
これは気象で例えると、同じ寒冷前線通過による雨でも、「突発性豪雨が増えたのは何故か。それは地球温暖化の影響で熱帯性気候に変化しているからである。」といった歴史的変化のことです。

欲求の変形というのは、そういった人間の幼少期からの成育過程を通じて、人間性が変貌していくことを説明している次第。
痴漢もまあそんな類でしょね。これも詳しくならいくらでも話が長くなりますが、また別の機会にでも。

No.660 2005/07/14(Thu) 10:37

望みのメカニズム-7:望みの停止のメカニズム / しまの

ハイブリッド心理学では、「欲求の変形は望みの停止を契機にして生じる」という基本原理を考えています。
つまり、より根源的な欲求が停止されても、欲求を駆り立てるエネルギーは止められるものではなく、変形した欲求として表面に漏れ出す、というメカニズムです。

この欲求の変形メカニズムそのものは、無意識下で働きます。
まず望みの停止は多少とも意識される形で進みます。やがて望みの停止が進行し、望みそのものが断たれたような、以前の欲求は枯渇した状態になる。
しばらくして、変形した欲求が起きていることに本人が気づく、という形です。その欲求は皮相で荒廃した色彩を帯びています。

こうした「望みの停止」がどのようなメカニズムで起きるかを知ることは、「欲求の変形」の逆、つまり「欲求の純化」を起こすのに役立つことがあるでしょう。
自分がどんな欲求を、どのように停止しようとしたか。それによって何が起きたかを知り、別の「心の使い方」があることを試す、という実践ができます。

■望みの開放の段階過程

望みの停止がどのように起きるかは、望みの開放がどのような段階過程を持つかを考えると分かりやすくなると思います。
なおここでは、深層と表層という話はあまり考えません。
例として、誰かを好きになり近づきたいというような願望を考えるといいでしょう。

で望みの開放には、「3つの段階」があり、それに加えて「期待」という要素があるのを考えることができます。
つごう4段階と言ってもいいでしょう。
1)欲求の自認。相手に惹かれる感情の自覚など。
2)その願いを達成するための具他的行動や場面の想像。自分から相手に働きかけるのを考えたり、都合良く相手が自分の方にくることを空想することもあるでしょう。
3)実際の行動化。欲求を相手に表明する。都合良い偶然というのは、この段階はなしですね。
4)その通りに相手が応えると期待する。願った偶然が起きるという期待というのがあり得ますね。


■望みの停止の進行過程

望みの停止は、上の4段階で、後ろから頭へと深いものになると考えられます。
まず4)が停止するのは、自信ないけど告白してみよう、という感じ。
3)が停止すると、好きですという自分を空想しても実際にはしないで我慢する、ラブレターを書いたけど渡さない。
ここまでは心の健康上害は少ないように思われます。

2)が停止すると、相手に惹かれる感情だけがあり、そのための具体的行動がイメージできないという状況になります。
この望み停止段階で、明示的に苦しみが起きるようです。
これは「具体的行動」に感して自己嫌悪感情や恐怖感情が結びついている場合です。

1)が停止すると、相手に惹かれる感情そのものが自分自身の中で否定されます。
大抵その後に「どうせ〜なんて」という停滞した感情が生まれるようになります。同時に、変形した欲求の生成が心の深層で始まる、という感じかと。

■明示的苦しみの感情分析

ということで、2)の停止段階が最も心理的に不安定であり、明示的に苦しみが起きることが多いと思います。
小説ダイジェストで幾つか明瞭な苦しみが描写されているのは、ほぼこの状態に該当します。

また、これが感情分析過程では格好の、というか顕著な分析対象になるという話をしておきましょう。
というのも、さまざまな抑圧の解除によって内面の力が回復することによって、枯渇状態にあった欲求が回復するということが起きるからであり、その際いったん2)の停止状態を通過するというのが頻繁に起きるわけです。

欲求だけが身をさいなみ苦しくなる。
どうすればいいか。1)の停止に戻るのでない方法とは。

こうすればいい、という簡単な話は言えないのですが、そこではしばしば「洞察」というものが起きる。それにはある方向がある、という話はいつかは(^^;)できると思います。
自己分析上の意識としては、「なぜ自分はそのための姿になり得ないのか」という問いを出すのがいいかも知れませんね。それは余りにも厳しい、洗練された行動という基準であったり、受身の態度を変更不可能と思い込んでたりすることであったりするでしょう。現実には存在しないものを求めていた、という自覚などもあるかも。

■自己操縦心性メカニズム序論

さて、望みのメカニズムについて基本的なところを解説してきましたが、
問題は、このような基礎メカという器の中で実際に起きる情動過程の中身です。

前回、「自分の持ちえる望みが他者によって決まる」という姿勢のことを言いましたが、これはメカニズムの話ではなく、姿勢の話であり、生き方の話です。
そして心理発達課題の損失が「自尊心の損失」によって始まることを考えた時、心理メカニズムと人間のある生き方の世界が重なってきます。自己の重心を失った心理障害の世界です。

これは上述の望みの開放過程で言うと、4)他者への期待が、今言った望みの停止メカニズムを先回り的に逆転させるような重みを獲得し、想起された他者像によって望みの停止と開放が支配されるような現象になっています。
しかもこの他者像が、感情の膿を通した異形なる獣のように映ったり、残存愛情要求を通して宇宙愛における一体化対象として映ったりすることになるわけです。
これが心理発達課題の損失という緊迫状態で起きることを背景にして、すべての問題を否定し去るような空想の世界を現実とする圧力が加わってくる。
こうして現実と空想の逆転、要求と真実の差し替え、そして感情の偽装というメカニズムが動き始める。

ということで、視点をまたこの基礎メカという器から、中身へと戻したいと思います。

なお欲求の変形軸の3つ目は、「真の欲求と偽装された欲求」という軸となります。
これは自己操縦心性の機能を理解したあとで、また整理したいと思います。

No.658 2005/07/12(Tue) 22:11

望みのメカニズム-6:「他者により自分の望みが決まる」というちょうつがい / しまの

ようやく4/末以来のダイジェスト続編がUpできたので、解説ものの方に移りましょう。(ダイジェストの方も執筆手法が確立できてきた感じで今後は順調でないかと。)

解説は今、一体何が障害傾向人格を維持しているのか、という要のポイントへの収束に向かって進めています。ひとつの問題からさまざまな問題が派生し、それぞれが再びあるポイントに収束する。

我々の意識はそれを理解することができません。なぜなら意識をそれに近づかせまいとして思考や感情の全体にストレスがかかっている状態が、まさに障害傾向人格の構造だからです。
従って、それが突破されるような治癒も、我々の意識はそれを理解することができない形で起きます。意識は破綻します。絶望や悲しみの中で思考の断絶が起き、やがて新しい感情が芽生えてくる、という流れになります。


このようなことが起きる心理構造メカですが、全体のおさらいをすると、
心理発達課題の損失で始まる情動の変形という縦の流れに、感情の膿残存愛情要求という派生物が介在する。
この「望みのメカニズム」シリーズでは、そこにおける情動の変形の基本メカを説明しています。「内側からと外側から」そして深層と表層という変形軸の中で、内側深層の欲求が阻害され欲求が外側からの皮相なものに変形していくという流れになります。
そして意識しないうちに起きている望みの停止により、怒り憎悪が不可避的に起きており、欲求の変形は単なる皮相化ではなく荒廃化という姿にならざるを得ないというメカニズムを理解することができます。

重要なキーワードに下線を引いてみましたが、既に7つもありますね。
これでもまだつながっていません。これからがなぜ「善悪の完全なる放棄」というテーマにつながるのかが示された時、全てがつながることになります。
そんな大掛かりなパズルなので、意識はもうつながりを体験することはないんですね。

ひとつの大きなちょうつがいは、「望みの停止」のメカニズムにあります。
なぜ望みが停止するのか。それを決める、ある大きな心の動きがあります。
「他者により自分の望みが決まる」という姿勢です。これは「自らによっては望みを開放できない」ということであり、既に望みの停止が動き出しているということでもあると言えるでしょう。

そしてこれはもちろん、「善悪によって自分の望みを決める」という、我々現代人が基本的に取ってきた姿勢と、実に重なります。

このちょうつがいの先に、障害傾向人格の中で維持される感情メカニズムがあります。自己操縦心性です。
自分がある善の存在になった時、全能万能が獲得されるという幻想がある。これ自体はまだ病理ではありません。病理は、空想と現実の逆転にあります。そして真実と要求の差し替え、さらに感情の偽装。この3つが自己操縦心性の機能です。

これを通って、つながって行きます。
これでもまだつながっていません。僕自身こうして言葉にしながらつながりの絵を書いている、現在進行形なわけです。

ということで、次、ちょうつがいとなる「望みの停止」の微細メカニズムの話をします。

No.653 2005/07/10(Sun) 14:21

 
Re: 望みのメカニズム-6:「他者により自分の望みが決まる」というちょうつがい / おやじ

島野先生 こんばんは。
私は中年(いや初老ですな)のオヤジです。
昨年3月より心理研究室には毎日出席させてもらっていまが初めての書き込みです。
ピンぼけの質問かもしれませんが宜しくお願い致します。

「他者により自分の望みが決まる」
「善悪によって自分の望みを決める」
真実と要求の差し替え、さらに感情の偽装。この3つが自己操縦心性の機能です。

と有りますが自分の欲求が真のものか障害によるものかの判断はどうすればよいのでしょうか?

No.655 2005/07/11(Mon) 11:05

 
Re: 望みのメカニズム-6:「他者により自分の望みが決まる」というちょうつがい / しまの

おやじさん、どーもー。(この言葉の響きはなかなかグッド^^;)

>自分の欲求が真のものか障害によるものかの判断はどうすればよいのでしょうか?
これは重要な質問ですね。

結論から言うならば、「その判断はできない。実際にその欲求を生きた時、真のものか偽装されたものかがふるいにかけられる。」

これは多分に恐れの対象になります。だからあらかじめ、自分のこの欲求は本当のものか偽のものかを判断してからにしたいと思う。その結果広範囲に、「望みを生きない」状態が起きます。
今後の解説の結論を多少先に言う感じになりますが、これが望みの停止を蔓延させるものの正体です。自分の欲求が偽りのものであったことがバレる事態への恐怖があるんですね。

望みの停止までは仕方ないと言っていられますが、その裏で望みの停止による背景的苦しみと怒り憎悪の発生があり、結果、欲求内容そのものが荒廃化してくるという隘路になります。これによってさらに欲求の偽装が必要になる。

「自己操縦心性」というのは、こうした問題がもはや意識的に感じ取れるよりも深いところで、人格構造として起きてしまっているものです。
したがって極めて厄介なものになります。

それに対処するために何が必要かといえば、こうした心理学の全てです。
真の欲求かどうか判断するためという点に絞れば、欲求の変形メカニズムを学習した上での感情分析という取り組みになります。ある程度それで分かってくると思いますが、最後には、欲求を生きる体験そのものが必要になります。これを支える価値観人生観と、勇気が大切になりますね。

No.657 2005/07/11(Mon) 13:08

望みのメカニズムー6「他者により自分の望みが決まる」について / かんどう

私のような凡人が大学院を出られ、心理学を長年研究されている、しまのさんに充分な受け答えが出来るか分かりませんが、私の感じたままを、書いてまいります。

人間は何ごとも、相手があって自分の望みが叶うのではないでしょうか?・・
例えば私がどんなに不思議な体験をして、発表しても、そんな事、「嘘」に決まっていると、認めてくれる人が居なければ、望みは決まらない。私の書き込んだ掲示板を、しまのさんが解答してくださったから、望みがかなったのです。

なかなか、しまのさんのように、いろいろな角度から分析する事は出来ませんが、
しまのさんの、書き方を今後勉強して、対等に議論出来るように、がんばります。
今後ともよろしくお願いします。

また、確認ですが、私のHPにしまのさんの、リンクを挿入しましたので、了解下さい。ページは「ホームページに来客を増やす方法」のNO20に載せてあります
御覧下さい。    おじゃまをしました!・・・

No.654 2005/07/10(Sun) 21:29

 
Re: 望みのメカニズムー6「他者により自分の望みが決まる」について / しまの

こんにちはー。
リンクの方は了承です。

>人間は何ごとも、相手があって自分の望みが叶うのではないでしょうか?・・
まさにその通りですね。我々の重要な「望み」には相手があり、その相手は大抵、他の人間です。

ハイブリッド人生心理学でそうした「望み」について考えているのは、
そうした「相手ある望み」に対して、我々自身がどのような態度を取っているかという、詳細な心理学です。

1)我々は、自分自身でどのような望みつまり欲求を持っていると感じているか
2)その望みに対して、どのような姿勢でいるか


ここから詳細な心理学が広がってきます。詳細はここでは省略しますが、
「自分は何を望みとして生きていくか」が「生き方」という課題そのものでもあると言えると思います。

それについて世にある幾つかの言葉が浮かびました。
天上天下唯我独尊」。これはお釈迦様の言葉らしいですね。
次は、与謝野晶子の短歌です。「柔肌の熱き血潮に触れもみで寂しからずや道を説く君」。
これは、我々が何を望みとして生きていくかについて、自己を中心にしたいという観念と、そうはできないと揺れ動く感情という2つの面を表現しているように思います。

こうした言葉に加えて僕自身の観念として浮かべるのは、「サバイバル」です。
自己を唯一の中心にすることと、他者に揺れ動くことの、どっちかという極端には答えはなく、答えはその間の未知にあるという考え方です。それは「知る」ものではなく、この多様な現実世界を「生きる」ことで見出すものという考え方です。
スペースの都合(?)で超簡潔に書いており抽象的かも知れませんが。

で、ハイブリッド心理学は心理障害の克服と心の成長を目標にしています。
「望み」について色々解説している上で、「望みに向かって可能性と全力を尽くせる」状態が心の健康な姿として目標になっています。
心理障害とかの心の問題においては、これとは逆に「自分の望みが分からない」「望みに向かうことへの恐怖」といった問題が起きます。
(2004/10/23「望むことへの恐怖」など参照あれ)

そうなる原因、心理メカニズムとして、「望みの停止」メカニズムがあるという話ですね。次のカキコでこの解説をしまーす。

No.656 2005/07/11(Mon) 12:40

ダイジェスト「心の罠の中へ」収録! / しまの

結局これにかかりっきりになり、先ほどUpできました。

次回はなるべく一挙に複数章掲載くらいで、この大学時代エピソードの完結あたりまで行きたいと思っています。
がんばるぞ〜。気合だ気合だ気合だ〜!(←パクリあっはっは)

No.652 2005/07/10(Sun) 12:40

誠の心・真実の心研究会について / かんどう

私は、学歴もありません、普通高校卒の凡人です。たまたま、不思議な現象を体験して、心は頭の一部だとする科学的証明に、真っ向から勝負をいどむ者です。心の研究、日本語検索で、貴方のhpを視て、感動して掲示板に書き込みました。前回も書き込んで削除されたかもしれません、今回再度真実の挑戦をします。何故か?・・しまのたかしさんの「心」の研究が真実だからです。
ぜひ、私のhpを御覧下さい。

No.650 2005/07/09(Sat) 22:44

 
Re: 誠の心・真実の心研究会について / しまの

こんばんはー!
そろそろ寝よかとPC電源落とそかとした所、カキコサンキュです。

>前回も書き込んで削除されたかもしれません。

カキコ削除はめったにしてないです。
先日「私達は現役女子高生の集まりです」とか言い有料アダルトサイトへ誘いこむカキコを削除しましたが、それじゃないですよね..アッハッハって冗談冗談(そのカキコ削除は実際の話^^;)。

記憶している限りかんどうさんのカキコは初めてのような。。

>心は頭の一部だとする科学的証明に、真っ向から勝負をいどむ者です。

まっ確かに「心は頭の一部」じゃあないと言えると僕も思いますね。
心と頭はあるひとつの本質の2面だとでも言えるかな。

HP見させていただきますヨ。今後ともよろしくー。

No.651 2005/07/09(Sat) 23:21

ダイジェスト続編近日中Up! / しまの

まだちょっと残りがありますが、次の一章にすべき原稿のほぼラストまで言葉が頭の中に揃った感があり、近日中にUpできそうです。最速で明日という感じですが、2、3日かかるかも。。
「心の罠の中へ」という題にする予定です。

当初、「蘇った自己」を書いたあとは凝縮して早めに切り上げようと思っていたのですが、こうして文章が出来てくると、このダイジェストを当初の想定よりもまとまった大作として仕上げようという目論見に変わってきた次第。

あとは操縦心性崩壊の様子を分かる程度に書く一方、「再生の顛末」などは省略して「オリジナルにこうご期待下さい」などと書いとくつもりでいたが、その辺もある程度詳しく書こうかという気になっています。
というのも、オリジナル版はいつ発刊できるか、見通しが立たないからなんですね。惜しまず何でも出しちゃう僕の基本的性格もありますが、この類まれなる内面の放浪記のそれなりの部分を早く世に出したいという気分もあり。

で小説ダイジェストの骨格というのが2つになってくるように感じています。
今までの部分が「愛の構造」とでもいうべきものなら、この後のはずばり「自己操縦心性の崩壊」です。これを「こんな場面もあった」程度で書くつもりでいたのを、もっと克明にそのメカニズムが感じられるようなレベルで書く。

というわけで、「病んだ心の崩壊」とだけ予定していた章を、今までと同じ程度の凝縮度のスト−リー描写にして、オリジナルの章に大体合わせた章立てで書く感じかなぁと思っています。
オリジナルだと4つの章くらいに該当する部分なんだけど。

気合だぁ!

No.649 2005/07/09(Sat) 10:31

対人態度の膿 / しまの

7/3「3種類の感情の膿」で、感情の膿の各論的な話をしましたが、さらに加えます。
感情の膿には、恐怖・自己軽蔑・望みの停止という、自分の状態についての感情が膿化したものがまずあります。
さらに、追従・離反・攻撃など対人態度における衝動が膿化したものも考えられます。

ここで「膿」という表現を使っているひとつの特徴は、本人による積極的活性化姿勢がなくても、自動的に起きるという特徴です。
体の方が、自動的強制的に、そう動いてしまう、という感じです。
これは特に、治癒の最後の方、本人の通常の感情や思考行動はストレス・フリーで建設的なものにだいたい安定してきた時に、その特徴が感じられるようになります。
まるでなにかの残骸、残滓のように、自分の中に自動対人感情が起きるのが観察され、心の動揺はよりすくない形で、目の前に写る別物の残像のように現れ、そして消えていくのが分かるようになる。

こうした感情の膿は、その発生メカニズムと同じように、意識より深い心の底で連鎖しているので、対人場面で強迫的に起きるさまざまな衝動や感情、まあそれが心理障害をどうにかしたいとしてまず意識されるものでしょうが、それをどう直そうとしたところで、直接は直せないというメカニズムを知っておくと良いでしょう。

たとえば、対人場面で自動的に体にながれる卑下的追従姿勢は、恐怖感情の膿が「ある」なら、どんなに自己独立的な姿勢を獲得したとしても、「起きる」のです。
「愛への嫉妬」の感情の膿が埋もれているなら、どんなに建設的対人行動を取得したとしても、親密そうな態度を意識しながらそうできない自分の浅薄感と、心底から打ち解けている人を見ると、「一体何をそんなに楽しくできるのか」と皮肉攻撃の色濃い疑問が湧いてくるのです。

こうしたことが本人の最大限の努力や成長にも関わらず起きるので、「結局人間関係って..愛って..人生って」という難解な哲学と一緒に、「こんな自分が嫌い」となりがち。

その先には、「理解して変わる」という姿勢ではもう行けない領域になります。
感情の膿というのは、基本的に体験することが耐えられない感情が来歴の中で蓄積しさたものであり、それに近づくとそれに触れまいとするバイアスが脳全体に働いて、何が起きているのか分からない形で、感情の膿が意識に触れ、パニック的に体験される形になります。

その際に、その感情が何の感情なのかという心理学的理解、そしてそれが現実に値しないという実感の度合いに応じて、体験された量に応じて、「放出減少」とでも呼ぶべきストレスの根本的消滅が起きる。

これは「カタルシス」と呼ばれる、情動の開放による緊張緩和としても多少イメージできることなので、しばしばこれを「起こそう」、それによって「治ろう」という考えを起こすかも知れません。しかしそう考えているうちは無駄です。

なぜならそれはパニックのない自分の姿を望んでいるからです。今の自分とは違う姿の自分になろうとしていることであり、パニックになる現実の自分への自己否定感情の上で、そう考えているわけです。
晒されてはならない現実の自分という感情。そしてそれは感情の膿によって生み出されています。かくして感情の膿は有効に(?)機能し続け、放出による除去減少が起きることはありません。

ではどうすればいいか。パニックのない自分の姿を望まなければ..
同じですね。「どうすれば」と考え始めると、ループして出口が見えなくなります。
強迫症状などに視野が狭まると、答えが出なくなります。

もっと大きな目で取り組む必要がある。そのために着目するといいと言えるのが、やはり「望みに対する態度」になると思います。
自分の望みに対する姿勢。その裏にある欲求の変形というものを知っていく。そして他人の望みに対する姿勢。そこに善悪の問題が起きてきます。
善悪という衣に隠されて起きているのが、望みの停止です。それによる怒り憎悪の蓄積。怒り憎悪の対象は「ニセ」です。
そして「ニセ」は自分の中にあります。ここに自己操縦心性が絡んでくる。

自己操縦心性が何を行っているのか。そして何を防いでいるのか。それによって全ての問題が維持されていること、そして突破口がどこにあるのかという話になってきます。

No.647 2005/07/06(Wed) 12:01

望みのメカニズム-5:深層欲求の回復への技術 / しまの

望みの変形軸として2つを説明しました。
内側からの望みと、外側からの望み。これについては、「使い分ける」というのが、我々に可能な技術であるという話もしてあります。
内側からの望みは我々の内面を、そして外側からの望みは我々の外面を、豊かにしてくれます。

人生での大きな課題への前進は、大抵の場合、外側からの望みによって導かれるという形を取るように思えます。
それが社会や異性に対する自分の位置、自分が何を得ることができるかという目標の姿と結びつく。
しかし外側からの望みは、ストレスと分裂をもたらします。そして外側からの望みに偏った者は、外側からの望みの中で「こうなりたい」という姿になるために本来最も必要な、内面の力を見失っていくため、まさに望む姿になれなくなりがちです。
ストレスと分裂という負の側面だけが見えてきて、今後は望むものから、自ら逃避するという心の動きが現れてくる。

内側からの望みと外側からの望みという心理学を理解することで、我々はそれを軌道修正することができます。
詳しい話はここでは省略しますが、その際、内側からの望みを機能させるためには、外側からの望みを停止させることが必要であるというのがひとつのポイントです。焦りの色濃い外側からの視線を、一度意識から外す必要がある。
これがひとつの「心の技術」のように実践されることもあるし、場合によっては、「外側からの望みにおける絶望」というものが必要になることもある。

これは操縦心性の崩壊のような話にもつながる、含みの大きい話ですが、ここではあくまで「使い分け」という技術がそこにあることを指摘しておきます。

心の深層から表層、つまり欲求の皮相化という変化の軸においては、我々が意識して行うことができる「技術」は、深層欲求という漠然とした要求の状態が、今自分においてどんなものであるかと「感じ取る」ことまでです。

感じ取った結果、変化が起きてくる。これは使い分けというものではなく、心の自然治癒力と自然成長力のなせる領域になります。
従って、時間がかかります。
例えですが、何段階かに分けた複雑な身体の手術というものがあります。幾つかの手術の合間に、少なくとも2、3週間の期間を置き、その間に起きる、自然治癒力による施術部位の構造的変化を、次の段階の手術の前提とするわけです。

最初の手術を施したあと、自然治癒力によってどんな変化が起きるかは、もはや意識的制御はできないわけです。
しかしそれがある方向を向いたものであることを我々は事例から知る。そして次の事例を予測し、結果を検証する。

精神分析は、このような取り組みによって成り立っています。それは我々が自らの深層欲求の状態を「感じ取る」ことによって、欲求の皮相化という変形が治癒へと向かうという、多くの事実を観察した結果が集大成された理論です。

難しいのは、これが心という目に見えないものを対象にしていることです。結局それを直接見ることができるのは、本人だけです。
このため、2つの重要な条件が出てくる。

ひとつは、「感じ取り方」です。無闇に内省し感情の反芻吟味をしたところでやぶ蛇になる可能性がある。ひと言で言えば、情動の変形メカニズムを理解し、それを逆にたどるような感じ取り方が望ましい。
だから感情メカニズム理論の学習が必要になるわけです。

もうひとつは、本人の心理学的素養です。これははっきり言って、まず自分の感情を客観視できることです。感情に流されることなく、まずそれを考えることができる理性です。
これを、自分ではどうにもできない先天的素質だなどとは考えずに、意識して実践していくことで身につくでしょう。

この2つがまずあって、より詳細な精神分析実践の方法論が出てきます。
それについてはそれ専用の解説の方にて。

No.646 2005/07/05(Tue) 23:09

「今会いにゆきます」見たけど.. / しまの

小説ダイジェストの続編がようやく、かなり順調に書き始まってきたので、ちょっと頭を休めて(?)解説ものも..
とその前に7/3カキコでちょっと触れた、「今、会いにゆきます」。結局見ましたねー。

..があまりコメントない感じ。雰囲気良かったから見てたけど、頭で「考える」ことは何もなし、という感。
ま状況設定そのものがあまりにリアリティ失ってるので、何かを考えたり学んだりする話というのではそもそもないかも知れませんね。

「愛の雰囲気」には溢れた、良い映像だと思います。その範囲で今後も見るかも。

No.645 2005/07/05(Tue) 16:56

3種類の感情の膿 / しまの

感情メカ理論の補足メモ。

心理発達課題の損失をひきがねとした情動の変形プロセスという縦の流れに、
感情の膿残存愛情要求という発生物が介在する。

これがここ最近までの解説の柱。

ここで、感情の膿には大きく3種類のものがあるという話。
これはこの後の自己操縦心性の登場とその役割、そしてそうした心理構造全体からの治癒回復の過程を考える上で、メカニズム上の鍵になるような気がしてきています。

1)恐怖感情の膿。これは自分が異形なる破壊的な他者に囲まれた存在である、というような感情です。
感情の膿は基本的に自他未分離な幼少期心理過程に根ざすものなので、その根本的な意識表現はきわめて漠然とした「恐怖の色彩」である。

これが自己の重心を欠いた自動感情として意識化される時、「怒りを向けられる」「嫌悪を向けられる」という感情になります。なぜ自分が怒りを向けられるのか、なぜ嫌われるのかの理由が存在する前に、その感情がある。
理由付けが後から行われるわけです。これは善悪価値観自己理想化像を材料にして、現実感つまりリアリティを付与されます。これを自己操縦心性が行っている。

2)自己軽蔑感情の膿。これは自分が人間にあるまじき醜い、おぞましく不快な存在であり、至上の嫌悪軽蔑に値するという感情です。
自己操縦心性の崩壊によりこれが発作的に現れる、という基本的現象があります。これが治癒メカを考える上でかなり重要な鍵になるでしょう。

これは「望みの停止衝動」の究極の形態でもあります。自己破壊衝動です。
これが「膿」という時、本人の意識的価値観や望みの停止衝動はもはやない状態においても、自己理想化像の破綻によりこれがどっと放出されること。人間に向けるものとは思えないようなおぞましい嫌悪が自分に向かう幻想的イメージが現れます。
これは来歴の中で抱かれたまま十分に体験されなかった自己破壊衝動が膿化したものと考えられます。

3)望みの停止感情の膿。これは望みが停止され、望みを失ったという感情の膿です。愛が失われたという「対象喪失感情」として体験されることもあれば、情緒エネルギーがゼロとなり「精神の死」が起きたというよう感情として体験されることもあります。


以下は感情メカ論が障害過程から治癒過程へと変換する究極ポイントを僕自身が整理考察したものです。
難解だと思います。今後のシリーズでわかりやすくばらして解説していく所存。


6/20「「望みの開放の選択」をめぐるメカニズム・メモ 」で書いたように、治癒過程として良く起きる自己操縦心性の崩壊の際、
まず自己軽蔑感情の膿が発作的に起き、その後望みの停止感情の膿が流れる、という形が実に典型的なものになります。

ここで起きている操縦心性崩壊とは、「現実と空想の逆転」「自己中心幻想」の崩壊のことを言います。これは望ましいことです。だから治癒。
そしてこれが治癒として起きるとは、内面の強さの増大により、自己中心幻想を現実世界において試すという心の動きが契機となります。これは恐怖の膿による制止が弱まった状態を意味します。

ここで、障害過程をつらぬく流れから、治癒過程をつらぬく流れがあります。
自分が追い求める真の望みへと向かうことです。
障害過程が活性化している状態とは、深層欲求の阻害が進行する状態です。これが止まり、治癒過程へ向かうというのは、深層欲求への自覚があり、深層欲求の充足へと向かう歩みに入ることです。

すると、自己中心幻想が引きずり出される。現実への出会いにより、現実と空想の逆転が破綻する。そして感情の膿が放出される。
ということは、「現実と空想の逆転」が、まず「自己軽蔑感情の膿」への防衛として機能しているということになります。
そしてここで同時に自己操縦心性の行っている防衛機能の最も狡猾なもの、「感情の偽装」がある。自分はこんな感情である。この偽装は意識を超えた深いところで起き、空想が現実と化す。ここにおいて、この人間は現実覚醒が問題の程度に応じて低い、現実とは別の世界に生きる者になります。

こうして、感情の膿への防衛により、その放出が塞がれ、恒常的ストレスの中で現実から乖離した、「生きる意味が分からない」心の世界を生きる心理構造ができあがります。

この構造を打ち破る部分が「心の手術」に該当する部分であり、治癒過程における「壁」の部分を説明するものでもあります。
ハイブリッドでは、それに至るまでの、人生再建の心理学や感情分析などで、この壁に近づくまでの、比較的「改善体験」だけで成り立つ部分を先に説明します。
しかしそれでも変わらないものが自分の中にある、という時、その壁の構造がこうなっているのだという理解が有益ではないかと考えています。
それがやがてその壁を打ち破るための、「望みに向かう」という勇気を生み出してくれると思います。

No.644 2005/07/03(Sun) 13:54

「今会いにゆきます」見ない..?^^; / しまの

久々の「みた」話でなく初めての「見ない」話
そういえばGWのマトリックス・レボリューションズ以来映画見てないので、何か見ようかなぁ。会社辞めて時間はたっぷりある..と言えるところではあるが、先のカキコのように案外そんな感じではなかったりする。
まあ見たいものと言えば、「ジェイソン・ボーン」シリーズだすね。僕の大好きな記憶もの。

で見ようかなーと思いつつどうもその気になれないでいるのが、やたら前宣伝が大きく出ている「今、会いにゆきます」なんだけど、これも記憶ものですねー。
本も映画も大ヒットしたもので、心理的なものでもあるので、どんなのか見ようかなーと思うものの、なんか見ても見てられないという気分になるような気がして、見ないという方に傾いている今日この頃。..と言っても放送開始は今日だけど。

これはひと言でいえば、「別れを告げた世界」のような気がしてるんですね。優しすぎて、思いやりの世界ですごし、過去を自分を責めることで生きる人々..というような。
それが奇跡のように「やり直せる」事態となる。家族愛とはこうあるべきだという、一種の洗脳状態さえ感じさせる(こりゃちょっと言いすぎか^^;)ストーリーが待っているような。。

一方僕が自分の小説とかで追求するのは、そうやって失った愛が希望通り元のさやに戻る奇跡の世界ではなく、失った理由を探しに行く世界であり、愛に別れを告げることで逆に未知の愛に出会うという世界なわけ。
だから思いやり世界ではなく、サバイバル世界の方に親しさを感じる。ジェイソン・ボーンのような。

だがまあこれだけヒットするなりには、それだけでないものがあるということだろう。
ということで、先にモンクたれてすっきりした所で、みようかなー。アハハ。

No.643 2005/07/03(Sun) 12:15

ダイジェスト続編格闘中^^; / しまの

書くほどのことじゃないのですが、6/31に会社の月次会議に出席し挨拶、その後送別会。
と言ってもこの月次会議の後はほぼ毎月何かしら歓送迎会という出入りの大きい組織で、今回は僕以外にも2名の退職者がいた。

ということで晴れて無職者(^^;)の身となった島野ですが、あんま気分に変化のない日々を送っている自分がいる感じ。。
というか、とにかくダイジェストの続編に悪戦苦闘しているのだすわ。

振り返るとダイジェストのこれまでの部分は僕の中でずっと前からストーリーの流れがあったのだけど、この後はかなり混沌としていて、その混沌をつらぬくストーリーを、恐竜発掘のような地道な吟味作業の中で作る感じ。

ということで解説ものもあんまペースUpしてないのですわ。。

No.642 2005/07/02(Sat) 22:24