■ 自己操縦心性の成り立ち-81:自分自身からの逃避-17 / しまの  |
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■自己嫌悪感情の種類と構造-3:深層嫌悪と表層嫌悪
自己嫌悪感情の分類の最後の軸はちょっと付け足しで、既に示唆している自己嫌悪の「構造」という基本的な考え方を説明します。 自己嫌悪感情は、深層から表層へと幾つものものが積み重なっているということです。それらは相対的に、深層嫌悪と表層嫌悪という位置付けで捉えることができます。
例えば僕自身が馴染みの深い(^^;)例を出すと、内面にこもりがちだった少年時代を引きずる形で、声の出し方が今一自信がなく、日頃練習したりしているのですが、ちなにもこれも精神論ではなくちゃんとした技術があり「受動的呼吸法」という複式呼吸などがその例。
それはさておき、時折のどが詰まるような感じになることがあり、それを気にしていた時、「自意識が表れることへの恐れ」によって左右されるのを自覚したことがあります。 意識の表面で気にしているのは喉の詰まり感覚ですが、特に自意識を気にする相手場面ではない場合、声を出すとそれに流されるように喉のつまりも消える。しかし自意識を気にする相手場面をシミュレーションすると、声を発した瞬間に、その声に表れた自意識によってまさに、喉がさらに詰まるように想像されました。 で「僕は自意識が相手の前で表れることを恐れている」と自覚する。
これは自己嫌悪感情が、それから逃れようとする自己操縦によって積み重なっていくという構造を説明する、分かりやすい例と思われます。ちょっと図示すると以下のようになります。
(対人回避) ↑さらなる防衛 | [表層嫌悪] 「声のなめらかさ」が失敗することへの嫌悪 ↑逃れるための自己操縦 | [深層嫌悪] 自意識への嫌悪
こうした構図において、自己操縦へと強く駆られるほど、深層嫌悪は見えなくなり、その分が外化され、相手から嫌悪を向けられる不安として体験されます。そして本人の意識においては、その不安は自己操縦が失敗することへの不安として、つまり表層嫌悪の問題として体験されるというメカニズムになります。
一方、この自己操縦が解かれ得る状況では、深層嫌悪の自覚が、表層嫌悪を劇的に減少させる場合があります。上の例では、自分の不安の本当の問題は声のなめらかさにあるのではない、ということが自覚されるからです。 なお上の図ではおまけに、表層嫌悪からさらに逃避しようとする場合も記入しています。まあ全般的な対人回避ということになるでしょう。
そのように自己操縦を解くというのは、治癒効果をもたらす感情分析の技術を説明してもいます。 しかしながら、取り組み上の視点としては、感情分析の効果ばかりを期待するのは短視眼的であって、より大きな視点として、この場合は受動的アイデンティティ姿勢への取り組み(2006/04/23「自己操縦心性の成り立ち-63:受動型自己アイデンティティと憎悪-11」あたりを参照)などがまず必要であることを指摘できます。
■自己嫌悪の階層構造の中で愛は憎しみになる..
自己嫌悪の種類と構造についての説明の最後に、それが「愛を求める人間感情」というもうひとつのベクトルと絡み合って何が起きるのかを書いておきましょう。実際のところ、自己嫌悪感情が現実生活の中で問題となるのは、実際この形でということになります。
自己嫌悪の階層の積み重なりが多いほど、その人間は自分ではもはやはっきりと自覚できない理由によって、「自分は嫌われる」と感じるようになることを意味します。階層が2層3層と深まるにつれ、もはや「理由があって嫌われるのではない。自分という存在そのものが、嫌われる存在として生まれたのだ。」といった思考を持つようになります。
この状況で、心の奥底のある「ちょうつがい」のようなメカニズムが、自動的に、この人間の心の風景を異なるものへと折り返させます。 それは愛が自尊心課題の一要素だった状況を背景に、愛されないことが自尊心への傷つけ、つまり屈辱として体験されるというものです。 一方、「愛を求める人間感情」は連綿として持続することを考えるのが間違いではないでしょう。
この状況は、ほぼ自動的に、「愛することは屈辱」という感情連鎖を起こすということです。根底メカニズムは「愛されないことは屈辱」なのですが、「愛されない」はこの人間にもはや既決事項のように抱かれているので、この連鎖部分はもはや省略されてしまうわけです。
かくして愛することは屈辱であり、愛さないでいられることがプライドになるという人間心理が生まれます。強く惹かれることはそれだけ強い屈辱となり、相手への憎悪を同時に生じさせます。ストーカーの心理はこれですね。 そしてこの心の世界では、もし自分が魅力を備えるのであれば、愛させることが復讐になるのです。なぜなら今度は相手が屈辱を感じる側になるのですから。 しかし「愛を求める人間感情」の中に一片の真実があるのならば、それはこの心理メカニズム全体と大きな葛藤を引き起こします。
まさに小説に描かれる人間心理の機微は、これなんですね。その中で起きるドラマを描いたものは多数あれども、僕としてはこの心理世界からの根本変化をまたがったドラマを、いつかは純粋に創作ものとして書いてみたい、なんて目論んでいる島野でした。 |
No.987 2006/05/31(Wed) 12:08:37
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