2章 「感情と行動の分離」 −心理学的思考法の基礎−

 

*初稿につき誤字脱字や変な「てにおは」は無視下さい。出版本までにさらに洗練予定!*

 

心理学的思考法の知恵とノウハウ

 

 心理学の知恵とノウハウを活用することによって、私たちは日常生活の中で心を悩ませる問題に、格段とよりうまい対処をすることができるようになります。

 それは無駄なストレスを減らし、問題をより早く解決させ、私たちの心を悩み事とストレスから開放されてくれます。その結果、私たちの心からはより軽快で良い気分が湧き出てくるようになります。

 逆に言えば、私たちの「素の思考」で考えることは、あまりに下手な思考法に満ちており、それはしばしば、わざわざ問題を大きくストレスに満ちたものへと仕立て上げるようなものになっているということです。

 

 この章では、そうした「心理学的思考法」の知恵とノウハウの中でも、まず最初の基本となるものを説明します。これはすぐに日常生活でも役立てることができるものであると同時に、この本で説明する、より本格的より専門心理学的な実践までの、全てに渡っての基礎になるものです。

 

 これは私たちが私たち自身の身体の健康について、正しい医学の知識によって臨むのと、全く同じ話です。

 医学が今のように進歩していなかった昔は、さまざまな迷信によって病気を解釈し、さまざまな「儀式」や「おまじない」によって病気を治そうとしていました。病気や健康の理解に、迷信や勘違いが沢山あったわけです。

 今では身体の健康については、大抵の人は科学に基づいた正しい「医学」の思考法で考えるようになっています。それによって私たち現代人は、昔の人に較べて遥かに長い期間を、健康に過ごすことができるようになりました。

 

 「心」についても、全く同じことが考えられるわけです。私たちの持って生まれた頭だけで考える「素の思考」や、人それぞれが言う、あまりにさまざまな人生訓を前に思い惑う前に、「心」について医学のように客観的で確実な知識と思考法をもとに対処するのが望ましい。これは実に単純に、そうであることがお分かりだと思います。

 

「感情を鵜呑みにしない」という大原則

 

 そのように、「心」についても「医学」のように客観的で確実な思考法をしたいのであれば、まず最初に、あまりに単純にそうであることがはっきり言える、鉄則とも言うべきものがあります。

 これは深刻な心の障害が関係するかどうかに関わらず、全ての人に言えることです。少なくとも、何らかの心の悩みや、人生の生き方を向上させたいと考えてこの本を手にしたのであれば、まず最初に認識すべき、あまりに明白なこととして、心にとめなければならない事柄があります。

 

 それは、心の問題としてまず問題になるのは、やはり揺れ動く「感情」だということです。そしてそれは時に「歪んだ」感情です。だから、私たちはそれを克服し脱したいと考えて、心理学を学ぶわけです。

 ならば、私たちが揺れ動く「感情」を克服したいのであるなら、まずは、「感情」を鵜呑みにしては元も子もない、ということです。

 ですから、「感情」を鵜呑みにしない思考法行動法というのが、まずは全てに渡っての基本になります。

 

 実に多くの方が、このあまりにも明白な指針とは逆のことをしてしまっています。

 「気持ちが大切」と考え、「気持ちに従って」心の高い理想を抱き、理想通りでない他人や自分を怒り、「気持ちが大切」と怒りに流れ、破壊的になり、そして破壊的になった自分の姿を眺めて、「駄目な自分」と嘆きます。そして「気持ちが大切」ですから、その自己嫌悪感情に深刻にとらわれてしまいます。

 「気持ちが大切」と考えることによって、まさに「気持ち」がすさんでしまうのです。

 これは、「気持ち」がどのように生まれ、そして変化するのかという心のメカニズムについての、そしてこの現実世界の中でものごとをうまく処理するための思考法行動法の知恵についての、根本的な無知によるものです。

 

「感情と行動の分離」という基本

 

 ですから、ハイブリッド心理学では、まず全ての実践の始まりとして、内面で揺れ動く「感情」と、外界現実についてどうするかの「思考」および「行動」を、いったん心の中で切り分け、全く別の話として考える、という基本姿勢を用います。

 これを、「感情と行動の分離」と呼んでいます。これは、ハイブリッド心理学の実践の、全てのスタートになります。

 基本的な指針は、「感情は基本的に内面のみにとどめ、その良し悪しを問わない。その代わりに、外面の行動は建設的なもののみにする」です。

 

 これは私の知る限り、世の他の心理学にはない独特のものかも知れません。他の心理学は大抵、とにかくどうすれば「気持ち」が前向きになるか、気分や感情がどうすれば改善されるかと、「気持ち」にじっと見入るようなことをさせます。

 それは根本的に誤った方法だと私は考えています。気分や感情を改善したければ、まず気分や感情に流れる思考をやめ、どうすれば現実のものごとにうまく対処できるかの、知恵とノウハウを学ぶのが近道です。

 もし否定的な感情が心に根深くあるのであれば、それがどのように起きており、どうすれば克服できるかを、まずは否定的な感情を鵜呑みにしない思考によって知ることが大切です。その先に、より専門的な心理学の実践への道が開けます。

 

 「感情は内面だけにとどめる」というのは、一部の方にはあまりお気にめす方法ではないかも知れません。特に、「明るく素直な感情表現」「気持ちに正直に」といったことを理想と感じる方にとっては、「感情と行動の分離」は、何か人との間に距離を置いたり、建前と本音の表裏を作ったり、感情表現に乏しい「根暗」になってしまうことであるかのように、感じられてしまうかも知れません。

 何も一生「感情と行動の分離」を続けましょうと言っているわけではありません。これはあくまで、揺れ動く否定的な感情に対処するための、心の整理の基本的な手法なのです。あくまでこれはスタートであって、ゴールではありません。

 

 そうしていったん感情と行動を分離し、別々に改善向上に取り組んでいく先に、内面の感情と外面の行動の間に、何の矛盾も亀裂もないような、心の熟成変化がある。つまり「統合」にやがて向かうことができる。それが「成長」である。

 これが、ハイブリッド心理学の最も基本的な考え方です。

 

 そうして内面感情と外面の思考行動をいったん分けた後に進める実践としては、左ページの図のようなものを用意しています。これは1章の最後に一覧にした項目を、実践の流れに沿って並べ直したものです。この本を通して、このそれぞれについて詳しく説明していきます。

 

 

 



「けなげ」よりも「したたか」に

 

 「感情は内面だけにとどめる」ということについて、もう一つの留意点です。

 心を病む過程においては、どうしても人は自分の感情が「人に見られる」ものだと感じがちです。「感情」というものが、何か「人の目」に見られる、自分の「人間性」の材料であるかのように感じられてしまうのです。「こんな感情」になれば人に好かれる。「こんな感情」では人に嫌われる、と。

 それはあまり事実ではありません。「人間性」を決めるのは、確かに内面感情も大切ですが、それ以上に重要なのは、実際に建設的な思考法行動方によって現実に向かって行動していく姿勢の方です。

 

 「自分の感情が人に見られる」と感じるのは、「愛情要求症候」の一つです。

 幼少期に、自分を大きく包むような「宇宙の愛」を得ることに挫折し、自分を大きく包むような愛への願望を、心が引きずり続けているのです。その結果、まるで人の目と心が自分の心を取り囲んでいるかのような、病んだ心に特有の感覚が起きてきます。自分の心はこうなんです。こんな感情を私は感じています。だから私を愛して下さい。私を賞賛して下さい。そんな心理状態が生まれがちです。

 その結果どうしても、病んだ心のメカニズムが生み出す「辛さ」「苦しみ」が、人に見せるものとしての価値を帯びてしまうような傾向に陥りがちです。「汚れた社会と無神経な他人の中で一人苦しむ自分」というイメージを、病んだ心は自動的に生み出す機能があります。

 そうした「辛さ」「苦しみ」が人に見せる価値を帯びることで、心の障害がもともと生み出す「苦しみ」への歯車の回転に拍車がかかってしまいます。「一人苦しむ私」というイメージの中で、本当に苦しくなっていってしまうのです。

 

 そうした病んだ心の基本的な悪循環を断ち切るためにも、「感情と行動の分離」という基本姿勢が望ましいものです。辛さや苦しみの感情もいったん内面だけにとどめ、外面においては、現実的な解決方法について考えてみる。

 これは直感的には、「けなげ」ではなく「したたか」というイメージを浮かべてみるといいかも知れません。「けなげに生きる」ではなく「したたかに生きる」というイメージの方が、お勧めです。

 「したたか」には多少「ずる賢い」「悪賢い」というニュアンスもあります。しかしもし私たちが自分の心の中に、自分でもあまり清らかとは思えないような自己中心的な感情やすさんだ感情が湧いたとしても、それを咎めるよりも、外面においては問題を起こさないような、人との「共通目標共通利益」になる行動を探すという形で、「したたか」であればいいのです。外面をそのようにうまく収める行動法に慣れてくると、実は内面の感情の方が自然に人に思いやりのある、清らかな感情にやがて変化していくといったことも起き得ます。

 

 また「けなげ」や「かよわい」というイメージには、それによって人に愛されることを期待する、「愛情要求」がやはり紛れこんでいるものです。問題はその「愛情要求」自体というよりも、自分の感情を自分自身で受け止めることができないという、「成長」とは逆の方向への姿勢が残り続けてしまうことにあるでしょう。

 「心の自立」という、「成長」における基本的な命題を支えるためにも、「けなげ」よりも「したたか」に、ということが言えそうです。「心の自立」について詳しくは、「自己の受容」のところで説明します。

 

「自己暗示」は使わない

 

 もし最初から、人や人生への肯定的な感情があり、それを揺らぎないものと感じることができるのであれば、迷うことなくそれに進むのがいいことです。そうではなく、否定的な感情や揺れ動く感情については、まずは「感情を鵜呑みにしない」ことを最初の一歩にして、これから説明する心理学の知恵とノウハウを実践してみることです。決して感情と行動を分離させること自体が目的でもゴールでもありません。

 そうして心を整理したことで、揺らぎないものとして切り分けられた肯定的感情については、もはや内面と外面を分離させることなく、向かうのがいいでしょう。

 

 一方、心の全体が否定的な感情におわれているケースでは、得てして、無理に「プラス思考」に変えようとしたり、自分の気持ちを奮い立たせるような言葉や仕草を学んで、ワンパターンの文きり調にそれをやろうとすることになりがちです。

 これは「自己暗示」の方法です。世にはこのための心理学が溢れています。プラス思考で感情が良くなる。良いことがあると考えれば良いことが起きる。自分は成功すると常に自分に言い聞かせる。しょせん人は暗示で動くものである、うんぬん。

 もしそうした「暗示」によって気分や感情が改善させるのであれば、それはそれで良いことだとは思います。しまし私自身の経験から実感として言いますと、「自己暗示」はやはり一時しのぎの気休めごまかし程度の効果しかないように感じます。

 

 さらに「自己暗示」がお勧めではないのは、それを多用すると、効果がないどころか、自分が本当に感じていることが何なのか分からなくなってくるという、大きな弊害があることです。同時にそれは人間の心を、あまりにも単純化して理解しようとする結果、深い理解に立ってこそ可能になるさまざまな治癒と成長への道を、大きく閉ざしてしまうことになりがちです。

 実際のところ、人が心の障害を自覚して精神科や心療内科を訪れるのは、大抵の場合、自己暗示的な方法によって何とか自分の心を良くしようとした挙句に、どうにもならなくなってのことであるように見受けられます。

 ですから、自己暗示的な発想はできずだけ早めに捨て、小手先の思考法で感情を良くしようとするのではなく、感情が湧き出る大元の土台から改善向上するとはどうゆうことかという発想に、切り替えるのがお勧めです。

 

気分感情を向上させる「現実向上」「成長」そして「治癒」

 

 ではいったん内面のみにとどめた「感情」は、どのようにして改善向上するのか。

 大きく3つの、「気分の改善と向上」への源泉があります。

 

 一つは「現実における向上」です。何の「向上」かと言えば、生きる上で抱える全ての課題や目標そして問題対処における「向上」です。これは内面についての思考法と外面についての行動法を問わずにそうです。

 ごく単純な話として、日々の問題や課題によりうまく解決する思考法行動法によって、それを解決できれば、解決できないよりも気分や感情は良くなるというものです。さらに、その積み重ねによって、私たちは内面と外面の双方における「豊かさ」を増大させることができます。それによって、日々湧き出る感情もより積極的で良いものになっていきます。

 

 ハイブリッド心理学では、「幸福」のために、内面と外面の「どっちが大切か」という、択一的な思考法はしません。どっちも豊かになるに越したことはありません。そしてそれが可能なのですから、内面外面を問わずに、向上への歩みをすることをお勧めしています。

 一言でいえば、「外面おける向上」とは、この社会においてより優れた存在になれることであり、その結果としてより豊かな生活基盤を築くことと言えるでしょう。「内面における向上」とは、「幸福」の源泉となる「愛」や「楽しさ」「喜び」などの感情をより多く湧き出させてくれるためのものをより多く持つことと言えるでしょう。それは人間関係であったり、趣味であったり、仕事であったするでしょう。

 内面外面を問わず、そうした「現実における向上」が、気分感情をより良いものにしてくれます。

 そのために、まずは「現実における向上」をもたらしてくれるような、「現実」へのよりうまい思考法行動法を、内面感情には惑わされることなく、学ぶのです。

 

 気分感情を良くする次の源泉は、「成長」です。「成長」とは、ハイブリッド心理学では「自らによって幸福になる能力の増大」のことです。

 今述べた「現実における向上」を生み出す能力の増大も、「成長」の一つの側面だと言えます。

 しかしそれ以上に重要なのは、上巻で詳しく述べたように、「人生の望み」の感情を心の中で開放し、それに向かって生きるという過程が生み出す、「内面の熟成変化」という、はっきりと形としては見えない「成長」です。

 それは「望みへの歩み」として、「現実」にぶつかっていく体験の積み重ねだけが、生み出すことができるものです。いかなる人工的な技術で作り出すものでもなく、心の自然成長力だけがそれを生み出します。より純粋でより大元の「望みの感情」に向かった時、それは現実に目標が叶えられるかどうかに関りなく、心を満たすものです。そして「望み続ける」ことによって「望みの成熟」が起き、「与える望み」というより大きく心を満たす感情へと変化します。そこにおいて、「求める愛」が「溢れる愛」へと変わることに、私たちが人生で目指し得る答えがあることを説明しました。

 そのような「望みの成熟」という「成長」が、なによりも日々の気分感情を、より安定しより豊かな良いものにしてくれます。

 

 ハイブリッド心理学では、「心の障害」を、基本的に「望みに向かう」ことが妨げられている状態として取り組みます。

 「悪感情」をそのまま「心の障害」とみなして「治そう」とすることは、ハイブリッド心理学ではしません。それはおうおうにして、現実において抱えた何らかの問題の、当然の結果である場合が少なくありません。ですから、悪感情があれば、まずそれを一つの現実問題と考えて、まず「現実の向上」の問題として扱います。その一方で、「望みが妨げられている」という根深い問題がある時に、それを「心の障害」として認め、その克服に取り組むわけです。

 従って、「心の障害」の「治癒」とは、ハイブリッド心理学においては、「望み」への重い蓋となったものを解きほぐし、取り除くこととして位置づけられます。それは根深い自己否定感情であったり、怒りに頼る思考法であったりするでしょう。

 

 そうした「治癒」が、「気分の改善と向上」の、3種類目の源泉になります。

 ただし一般に言う「良い気分」「豊かな感情」が「治癒の結果」として得られるという考えは、あまり正しいありません。あくまでそれは、すでに述べた「現実向上」と「成長成熟」の結果生まれるものであり、これは何よりも、「心の障害が治る」ことで得るものではなく、あくまで、「人生の望みに向かう」という積極的な過程があってこそ、生まれるものです。

 ですから、これはつねづね言っていることですが、「障害が治ったら人生が始まるのではなく、治っていなくても人生の望みに向かう中で、障害もやがて治っている」と考えるのがお勧めです。

 

 「治癒」が生み出す「良い気分」そのものは、実はかなり特殊なものになります。

 心の障害の「治癒」はおうおうにして、その時はむしろ苦い感情を体験することが多いことを、先の章で説明しました。「治癒」がはっきり自覚されるのは、主にそれから少しして、自分の変化を感じるという形になります。

 それは「望みへの重い蓋」が取り去られたことに対応するように、「開放感」が最も特徴的なものになります。同時にそれは、イメージを引き金にして揺れ動く感情に心が飲み尽くされることからの開放であり、「現実感の増大」というものが特徴になります。これは健康な心では体験することのない、特殊な「気分の改善」です。

 こうした「治癒」が後戻りのない変化として体験される時、「開放感」と「現実感」に満ちた感情は、おうおうにして「人生でこんな良い気分を感じたことがない」と感じるほどの良い気分になります。

 

 このように、ハイブリッド心理学では、気分と感情の改善向上を、「現実の向上」そして「人生の望み」を軸にした「成長」と「治癒」として考えています。

 心の悩みを抱えた人が「感情の改善」を考える時、得てしてそれは、望みを断念した自己安住のような「心の安定」や「心の平安」のイメージの完成を求めるようなものになっているように感じます。

 ハイブリッド心理学では、それは目指すものであはありません。あくまで「現実の向上」と「人生の望み」を軸にした「成長」と「治癒」が、目指すものになります。

 そのために、まずは、今での人生の望みを停止させる方向で揺れ動いていた感情には全く影響されることのない、この現実世界をよりうまく生きる思考法行動法を学ぶのです。

 ですから、ハイブリッド心理学では基本的に、感情を直接良くしようとして小手先を労するようなことは、一切行いません。感情を直接良くしようとするのではなく、感情が湧き出る土台の方を改善向上させることだけに、目を向けます。

 

「建設的であること」

 

 感情はいったん内面のみにとどめ、まずは「現実の向上」への知恵とノウハウを実践します。

 さらに、「望み」を妨げたものを取り除く「治癒」と、「望み」に向かい続ける「成長」を目指します。望みを妨げる感情を鵜呑みにせずにです。

 そうして、感情を小手先で直接良くしようとするのではなく、感情が湧き出る大元の土台を向上させ豊かなものにさせる。

 そのための基本的な指針が、「建設的であること」です。

 「感情と行動の分離」の「感情は内面だけにとどめ、外面は建設的なもののみにする」における後ろの部分です。

 

 「建設的」とは、単なる前向き姿勢のことではなく、この世に生きるもの全てにおける「行動様式」の3態のうちの一つのことを言っています。

 生きものの行動様式の3態とは、「破壊」「自衛」そして「建設」です。

 

 「破壊」とは、望ましくないもの、たとえば自分を食べようとする天敵などに出会った時、「それは駄目だ」という「否定」をむけ、相手を破壊することで解決しようとする行動様式です。これは多くの場合、「怒り」の感情によって行われます。

 「自衛」とは、望ましくないものに出くわさないように、先回りして対策を講じるものです。当然このほうがより安全になります。

 「建設」ではさらに、望ましくないものから自分を守るのを超えて、望ましいものに取り囲まれるような、生活の基盤を自ら築き上げます。

 動物の進化は、当然、「破壊」だけしかできない低い能力から、「自衛」そして「建設」というより高い行動様式ができる能力の獲得として進んできました。人間がこの高度な社会を築いたのも、地球におけるその進化の頂点だったわけです。

 そのように「建設」とは「望ましいものに囲まれる生活基盤」を「築く」ものですから、漠然とした前向き姿勢や明るい感情のことではなく、具体的な「技術」があることが極めて本質的なことになってきます。人間の場合、その「技術」とは、もちろん「科学」です。

 

 「破壊」よりも「自衛」そして「建設」の行動様式の方が望ましいのは、あまりにも自明のことのように思われます。

 ところが、現代社会人の基本的に良しとしている思考法は、「破壊」の様式なのです。「あるべき姿」を掲げて怒りに頼るという思考法であり、望ましくないものに対して、「駄目なものは駄目だと言えること」に価値があると感じる感性です。実はそれは、最も低い進化段階を目指すような思考法です。

 「それは駄目だ」と「言える」ことは、実は「解決できない」と「宣言」するのと同じです。なぜなら、解決する技術があるのであれば、「それは駄目だ」だなどと言っている暇に、改善向上への作業に取りかかることができるからです。ここではもう「怒り」は微塵も必要はありません。

 この世にある全てのものごとに、解決への答えがあります。私たちはそれについて、怒りに頼る思考違法によって、自ら遠ざかり、自ら無知になっていただけです。

 

 ハイブリッド心理学における「建設的」という言葉の意味が、お分かりになったでしょうか。

 それは前向き姿勢や明るい気分という、「感情」に依存することではなく、具体的な「技術」という、感情には全く依存することのないものです。

 

否定的感情の「非行動化」「ただ流す」の原則

 

 では内面に否定的な感情や破壊的な感情があったら、それをどう直せばいいのか。

 「直す」ことはしません。否定的な感情や破壊的な感情を「直そう」ともすることなく、その内面感情と、外面への思考行動を、全く別の話として「分離」させ、外面への思考法行動法を、とにかく建設的なものへと変えていくのです。

 否定的、破壊的な感情そのものについては、「何もしない」がまず指針になります。「直そう」とも「治そう」とも「正そう」ともしない。

 

 あえてこれを能動的な言葉でいうならば、「非行動化」します。これは主に「怒り」という、今まで行動につなげやすかった破壊的感情について当てはまります。

 もともと行動へのつながりが少ない悪感情、たとえば「恐怖」や「苦しみ」「空虚感」などについては、それを「正そう」「治そう」とするのではなく、「ただ流す」ことです。その悪感情の存在を否定することなく受け入れ、ただし鵜呑みにして強く意識して「どうにかしなければ」と考えることもせず、「ただ流す」。

 これが大原則です。

 

 なぜこのような否定的感情の「非行動化」や「ただ流す」という姿勢が望ましいのか。

 理由は単純です。それを鵜呑みにして行動化するのも、逆にそれを「何とか正そう」と考えて強く意識するのも、結局は、その否定的感情が自分にとって重大なことなのだという「言質(げんち)を与える」ことになるからです。

 つまり感情に流されるのも、感情を正そうとして硬い自己統制をとるのも、結局はその否定的感情に入れ込んでいるということで、実はその感情を心の底では後生大切にしっかりと心に刻むということを、しているわけです。これは否定的感情の克服には、つながりません。

 そうではなく、いかに意識を、外面問題に対する建設的な思考法行動法に切り換えられるか、ということになるでしょう。否定的感情をどう意識すればいいかの問題ではなく、そもそも意識することからして、減らしていくのが、否定的感情を克服するための良い方法なのです。

 ですからますます私たちは、自分の心を良くしようと、じっと自分の心に見入ることよりも、この現実世界と現実社会をよりうまく生きるための知恵とノウハウについて、精神論ではない具体的なことを沢山学ぶことに、まず心を向けて頂くのがいいと思います。

 

 ここから、心の悩みや心の障害の中で、揺れ動く感情の中で自分を持て余していた人生から、全く異なる世界への道のりが始まります。

 なぜなら、その第一歩は、もはや感情には全く無関係に進むことができるものだからです。たとえどんなに病んだ、破壊的な感情が心の中にあってもです。「感情と行動の分離」という大原則を守る限り。

 破壊的な感情も、それを何とか良い感情に変えようと焦りの中で自分を咎めることもなく、ただ「非行動化」の原則だけを守ればいいのです。そして外面における思考法行動法として、とにかく「建設的」なものを学び、そして実践することです。

 

 その具体的内容に移りましょう。

 そこで同時に、人がどんな短い期間にでも大きな向上変化を得ることができるかを、実例を通して示すことができると思います。