6章 「人生をかけた取り組み」へ −最初の舵取り先を探る−
*初稿につき誤字脱字や変な「てにおは」は無視下さい。出版本までにさらに洗練予定!*
この章のまとめ
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■実践項目■ 「人生をかけた取り組み」へ・・・「病んだ心」への取り組みにおいて必須と言える視点。 そうした大きな視点から取り組む方が、単に目の前の問題を小手先で解決しようとする短視眼的アプローチよりははるかに良い結果を生みます。 「空想から現実を見下す」から「現実をベースに向上する」へ・・・上記のための基本指針。 「自己受容」・・・ここでは「自分に愛を向けるポーズ」よりも「自分にはめ続けた枠を取り去る」こと。 「恐怖の克服」への第一歩・・・「恐怖を感じない」ではなく「安全を正しく知る」に目標を置く。 自己分析・感情分析への第一歩・・・「先回り自己嫌悪」に含まれる「自分への優越感」「苦しみ自尊心」など。 「攻撃的休息」・・・「休息」を「疲労回復」を超えた積極的なものとして捉える。 ■実例■ D男さん ・・・ 休職の身にあることへの「巨大なる焦り」から「来歴の振り返り」へと視線が変わり、「人生をかけた取り組み」に腹を決める。 |
最初の舵取りへの足がかり
引き続き「D男さん」の事例を詳しくたどりましょう。次の7章さらに8章にかけて、D男さんの最初の治癒効果が現れるまでの過程を説明することになります。
まずはハイブリッド心理学の教科書通りの「現実的で合理的な思考法」へのアプローチは、休職予定期間がいよいよ終わるという「現実性刺激」も引き金とし、「現実的論理」を超えた根深い問題がD男さんの心に色濃く存在することを明らかにします。
しかし同時にそこには、最初の舵取りへの大きな足がかりが現れてきています。
それはD男さん自身の言葉に示されています。
「素の自分((弱い自分)を出すのが怖かったのです」そして「今は鎧を取り外しました。そこには人生を無理してきて疲れた男がいます」という言葉に。
そこに、「空想に生きる生」という、病んだ心の大きな根源があります。心の底で抱く自己否定に目をつぶり、置き去りにしたまま、それを塗り消すための「なるべき自分」の姿を掲げ、それに向って容赦なく自分を鞭打つという、病んだ心の原型とも言えるものがそこにはあります。
今、D男さんは、人生で背負いつづけてきたその重い鎧を脱ぎすてようとしています。しかしそれに代わる新しい生き方を、D男さんはまだ手にしてはいません。D男さんの次の言葉がしめす通り。
「裸で外に出る勇気がないので、他の鎧はないかと探しています。見すぼらしい肉体の裸のままでいるのがイヤです」と。
心の治癒へのパラドックス過程
実はその答えが、先に出した「現実的で合理的な思考法」にあります。特に、「現実」というものを白か黒かの二極で見るのではなく、現実と人間の不完全性を認め、自らの長所と短所を分け隔てなく認め、自分をその多面を持つ一つの本質として前に進むことを選ぶ、「中庸の目」に。
ここに、パラドックスが起きていることを指摘することができます。
まず、答えを用意してみます。しかしその真意はこの時、本人には理解できません。その代わりに、根源の問題が見えてきて、問いが出されます。
そこで先に用意した答えが問いへの答えになるのですが、今度はその答えが見えなくなっています。
このパラドックスが最初から起きています。この順番を、ごく普通にまず問いを出し、答えを求めるという順番にすると、今度は根源の問題が、従って問いが、見えないのです。
問いがないまま、答えを先に出すと、まず問いが見えてくる。そして次のパラドックスが起きる。問いが見えた時、今度は先に出した答えが見えなくなっているのです。今D男さんが来たのはこの段階です。
今度はさらに、問いを深めます。問いと答えがつながってくるのは、この先です。
実はこの進み方は、私が意図して組んでいるものではなく、深刻な心の問題が治癒解決していく過程が、実に不思議なパラドックス的なものの中にあるという基本的な印象を、私はこれまでの経験を通して感じています。
事実、心の障害は、そして人間の心は、見えないものを根底に持ったまま、見える表面とその全体が連鎖している複雑な歯車として動きます。その見えないものを見る目を持つことが、極めて大切です。
最初の舵取り先への試行錯誤
さて、そうして最初の問いと答えの駒が揃うのですが、この両者はまだつながっておらず、かなりの隔たりがあるのが実情です。
この間にあるものを、さらにかなり深堀りにする必要があります。問いと答えがつながるのは、それからです。ここに、単なる人生訓や説教では手足が出せず、本格的な心理学の登場の出番があると言えるでしょう。
一方、このパラドックス的な取り組みの過程を、見えない歯車まで全て見通して進めることは、もはや人間技を超えた話に多々なってきます。とにかく今見えるものを材料にして、可能な範囲で心の3D映像をシミュレーションして次の水先を考えしかありません。これは先の章でお伝えした通りで、多少試行錯誤の過程になります。
そこには完全な目測ミスも時に起きるでしょう。この後それが判明するように。目測ミスは他者への援助の中で起きるだけではなく、自己単独での取り組みの中でも、自分の心の状態への目測ミスというものが、多少は避けられないのが実情です。
そうした細かいブレを超えて、一貫として向う治癒と成長の本質を見る目が大切になってくるゆえんです。
「来歴の振り返り」と「自己受容」・「恐怖の克服」への第一歩
さて、私はそうした最初の舵取りへの試行錯誤として、まずD男さんの視線が自らの来歴全体へと変化したことを足がかりに、「自己受容」に焦点を当ててみました。「来歴の振り返り」は、ありのままの自分の全体を見つめることであり、ありのままの自分を原点として受け入れる「自己受容」と、とても良く馴染むからです。
もう一つ私が打ち始めたアプローチは、「恐怖の克服」です。D男さんの中で、「現実への恐怖」が大きな妨げになっていることが浮かび上がってきていました。
D男さんの心理状況が緊迫化した月曜、私はまず多少当座しのぎとして、「恐怖の克服」について私が少し前に書いた資料を送っておきました。
同時に、休職期間を多少延ばす検討をしても良いのではと伝えました。幸い、この数日前にD男さんは上司と面会し、似たような配慮の言葉をもらっていました。あまり無理をせずに、まずしっかり治すことを心がけなさい、と。社会的にも心の病への配慮が求められている昨今です。
ただその時の「恐怖の克服」についての資料はあまりまとまりの良いものではなく、ここで簡潔に「恐怖の克服」で重要な話を書いておきましょう。
まずそれは、単独の実践があるというよりも、このハイブリッド心理学の取り組みの全体がその答えになります。
重要なのは、恐怖が消えることで人生が始まるのではなく、人生を歩む成長が、恐怖を克服するための内面の強さを生み出します。
そのための最初の心得をここでお伝えしておきましょう。「恐怖の克服」として目指すものを、「恐怖を感じない」ことだと考えるのは大きな誤りです。そう考えると「恐怖の克服」の正しい道を完全に見失います。
重要なのは、「恐怖を感じない」ことではなく、「安全を正しく知る」ことです。それがどのように「建設」されるのか。そのためには科学的思考法が極めて重要になってきます。
そして、「安全」を正しく知った上で、むしろ恐怖へとありのままに突入し、「恐怖を生きる」ことが、心の根底からの恐怖の消滅へと結実するのです。
私がD男さんにこの時伝えたのも、まずはこの第一歩についてでした。その先のより具体的な実践については、このあとのさまざまな場所で触れることになるでしょう。
「自己受容」を第一歩として「人生をかけた取り組み」へ
さて、D男さんの心理状況が緊迫化した月曜日、私はもう一通メールを出しておきました。D男さんの中で「自己受容」を促してみるものとしてです。
==島野から 2007.5.7(月)==
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>他の支えを欲しくて、今まで読んだ本やネットで情報を集めたいという衝動に駆られ、実行してしまいます。今まで学んだ心理の教えは、それぞれの先生が様々な解釈、表現をしているので、余計混乱をしています。
混乱している点があれば、それを取り上げ整理するのがかなり役に立つと思いますので、何かあれば言って頂ければ。
あとさっき送った「恐怖の克服」について感じたことも言って頂ければ、それに応じ最適のアドバイスを検討しておきますので。
ただまあ、今日頂いたメールを今じっくり読んだのですが、D男さんに今必要なのは、今まで送ったのとはどうも違う方向に答えがある気がしている次第です。
というのは、D男さんの根底には、「愛」を求める願望があったと感じています。
それを、自分に鎧をつけることで実現しようとしてしまっていた。20代は勢いでなんとななるでしょう。僕もうそうでした^^;
この根源に、今立ち返るのがいいように感じますね。30代後半からは、そこに立ち返るべき人生の転換点があると感じています。
「愛」は、鎧を脱ぎ捨てた姿に、向けられるものです。それを、D男さん自身が自らの心に向ける必要があると感じます。一方外面現実には、それは求めるものではない。そこでは現実というものに対処するノウハウの世界があります。
この2面なんですね。結局ここに行き着く。だから「ハイブリッド」と言っているのですが..
「自己受容」をこのように「自らに向ける愛」と捉えるにせよ、それ自体が「治癒と成長」を生むものではないという視点も必要になります。「自己受容」はあくまで「唯一無二の成長への意志」として、スタート点になるものです。
「自己受容」はあくまで取り組みの道のり上の「点」であり「線」にはなりません。ありがちな勘違いは、自己受容を「今の自分を受け入れる」ことと考えて、「自分に愛を向ける」ポーズにじっととどまり、自己否定感情が消えないか、感情が良くならないかとじっと自分の内面に見入り続けてしまうものです。そうして現実世界の中で前に進むことを見失う、「感情依存」に戻ってしまう姿が良く見かけられます。
案の定、D男さんもそうした感情依存型の「自己受容で自分を変えたい願望」で反応してきます。
私は長居は無用と、大きく舵取りの変更へと向います。
==D男さんから 2007.5.8(火)==
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恐怖の克服を読みました。
私にとって恐怖は、長い間抑制したものでした。20代以後、理想を叶えるために、負の感情を感じるとそれが現実化してしまうと考えていたのです。
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誤ったポジティブ思考です。
恐怖も感じたら、すぐに自己否定自己処罰をする習慣があります。本当に自己処罰の名人です。思った通りにいかないと処罰です。他人の前ではいい人を演じるので、処罰対象は自分で、とばっちりを家族が受けます。
私にとって恐怖は何か。
・集団の中の孤独
・周りから責められる
・仲間に入りたいのに、入れない。
・無視される。存在が認められない。
それが嫌なので、鎧をつけて仲間に入っていた。けど、それが鎧だと気付いてしまい、素の自分では愛されないと思っています。素を出したら、足をすくわれるとも。
現在、嫁や仲間はとても私を良くしてくれます。優しいのです。逆の立場なら、私はそんなに優しくしてあげないだろうと思うくらい。人はこんなに優しいのかと驚いています。
島野さんがおっしゃるとおり、愛を自分に向けたいです。それから相手に愛が向くのでしょうか。
でも、自分で自分をどう愛せばいいのかわかりません。
心の中では、自己処罰行為が続きます。投影で他のみんなも処罰するのではないかと怖いです。
上記の恐怖は、自己否定自己処罰行為から生まれているのかもしれません。やはり自分の中で起きているんですね。
もうその行為は止めて、自分を無条件の愛で包みたいです。どんな自分でも自分ですから。
このような「自分に愛を向けたい」という思考は、今までの自分に鞭打つ生き方からの方向転換の第一歩としては有益ですが、残念ながらそのままでは治癒と成長にはつながりません。まだありのままの自分ではない別人に変わることを期待する衝動が強すぎるからです。
意識の根底のその衝動に、もう少し取り組みを続ける必要があります。その先に、「自分に愛を向ける」ことが単なるポーズではなしに、本当に自分を変化させるようになる時が訪れます。
一方、D男さんに対しては、会社側から部署の異動を希望するかどうかの打診も来たようでした。基本的に希望を取り入れるとのこと。
D男さんはそれについても迷いの中にあるようでした。今までの自分の思考の延長で行けるのか、それとも根本的に何かの考え方を変える必要があるのか、そしてそれはどう可能なのか、どう頭を回しても分からないのです。
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でもこの状態で決断するのが怖いのです。決断を誤りそうなので。
今の部署はノルマや動きが激しいので、もう少しラクな部署がいいと思いますが心の中はいろんな考えが錯綜しています。
・今異動すると、中途半端でどうなのか。何か言われるか。みじめ。
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・他の部署をよく知らないので、どこに行ったら良いのかわからない。
・閑職部署に異動はどうなのか。やる気を失うのか。格好悪いのは嫌だ。
・今の状況をストレートに言うと、「あいつは駄目だ」と見放される。
こういう場合にも「現実の原理原則」を使うのですか。仕事とはなにをするのか、と。
とても混乱しています。書いていて混乱が増幅してきました。
感情はいろんな思いが交じり合い、現実か空想かわからず、自己否定自己処罰行為はわかっても、それをどう止めればいいのか、それを変えるにはどうすればいいのか。知っている方法を使っては感触がない。
会社という現実の判断は目の前に来ている。時間がない、と焦っています。八方塞がり。自分を追い込んでいる。
あー、自分も人も信用できない。
完全に混乱しておられるようです。
「人生をかけた取り組み」に腹を決める
私がここでD男さんに対して行った大きな舵取り変更とは、とにかくこれが1週間や2週間で済む問題ではなく、何か月、さらには人生の全体を通しての取り組みになるのだという、覚悟を決めてもらうことでした。人生の生き方を根本から見直す、人生を賭けた取り組みになるのだと。
実はこれが「自己受容」の真の姿の一つになるとも言えます。本人の意識においては、これが「自己受容」だという感覚はないままにです。自己受容とはまずは、「自分に愛を向ける」ポーズではなく、自分自身に頭ごなしにはめていた枠を取り去ることなのです。
「空想から現実を見下す」から「現実をベースにした向上」へ・「否定する価値」の明確化
この人生の生き方の見直しの基本方針とは、明確です。「破壊から建設へ」という基本理念を、今度は人生という大きなものに向けるのです。
それは「空想上の理想からそれに満たないものを見下す」「空想に自分を力づくで合わせる」という生き方から、「現実をベースにして向上する」という生き方への転換です。
その具体的実践は、もちろんこの新しい指針を頭ごなしに自分に当てはめるという同じ轍の繰り返しではなく、着実な心理学的技術として実践するのが望ましい。その具体的方法を豊富に提供するのがハイブリッド心理学です。
この最初のものとして私は、「空想から現実を否定していても駄目だ」と「否定」を繰り返すのとはむしろ逆に、「否定することの価値」を思いっきり明確化してみるというアプローチを示唆しました。
これは私が定石としてしばしば用いるアプローチです。「そうする価値は何か?」を明確化することで、それが実に取るに足りないものであることが自覚され、頭ごなしに力づくで消し去ろうとしなくても、自然と心の底から捨て去られていきます。
ただし、これもすぐそれが起きるような安易な実践ではありません。隠されていた攻撃破壊性が爆発的に開放される可能性さえあるのです。その時、それをさらに超えることのできる人間の価値とは何か。援助者側にはそうした深い問題まで明確な考えが求められることは、言うまでもありません。
私からのメールは、これらを一通り説明したもので、多少長いものになりました。
まずはD男さんの当面の問題全体の整理から説明します。
== 島野から 2007.5.8(火)「今後への課題の整理」==
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・・(略)・・
■主な「治癒課題」と「成長課題」を把握する
まあD男さんの場合、ご相談頂いてすぐ復職というターゲットが出ているという、他とはちょっと違う差し迫った状況におられるのが事実です。まあ焦る気持ちは分かります^^;
できるだけこれをスムーズに進められるよう、ご自分の「治癒」と「成長」の課題の全体を、今把握して頂くのがいいと思います。
他の方の場合は、ご相談の都度のその方の心理状況に合わせて、テーマを小出しにするのが大抵です。そうでないとあまりに話が多くなってしまうからです。
D男さんの場合はそうではなく、最初に全体を把握してもらのが良さそうだと感じている次第です。
また後でアップデートするかも知れませんが、以下の項目立てと考えて頂ければ。
<治癒課題>
1)自己否定自己処罰の解除..「否定価値」に取り組み放棄する
-「建設」型思考の理解
-「否定できる」価値の放棄
2)恐怖の克服
-恐怖の主な原因は自己処罰への恐怖です。従って、自己否定自己処罰をより本尊の問題と考えていいです。
3)「空想に合わせて生きる」から「現実に立って生きる」への転換
-これが最も大きな出口になると思います。その分、「人生をかけた問題」としてこれに向き合うことが重要です。
<成長課題>
1)「姿」にではなく「生み出すもの」に自尊心価値を見出す姿勢
2)「建設的行動法」「原理原則立脚型行動法」によって「推進力ある自己像」を見出す
3)置き去りにした愛情願望への向き合い
-これは一番最後と考えていいように僕の方では見ています。復職という課題の後でもいいでしょう。
「自己の受容」という「最も基本的な自分への愛」については、上記の全ての中に埋め込まれていると考えて頂いていいと思います。
これらは要は、先に述べた「空想上のなるべき自分の姿からそれに満たない現実の自分を否定処罰する」という生き方から、「ありのままの現実の自分をベースにして成長していく」という生き方への転換です。それを単なる精神論で終わらせないために、心理学的に要素を分析して取り組んでいきます。
ここではそこにさらに心の障害の根底問題への視点を追加しています。「恐怖」と「愛情願望の挫折」です。ただしこれについては、この段階ではD男さんにそれがどの程度深刻に、そして根深く存在する問題であのか、そしてそれがどう解決するのかは、全く見えていません。
もちろんその問題が見えた場合の克服への道のりは、私の頭の中にはあります。そかしそれはあまりにも紆余曲折のものになるので、今深入りすることはできません。まずはとにかく、目に見えるものを手がかりに、D男さんの心の深層まで含めた状態と、変化への芽がどこにあるのかを探るこからになります。
まずは、「空想から現実を否定処罰する」ばかりの姿勢の脱却に向けて、その自己把握、そして「否定する価値」の明確化について説明を続けます。
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・・(略)・・
前に書いたものほど、後ろのものの前提になります。
例えば、D男さんの場合、「こうあるべき姿」という「空想」から、「そうなれてない現実」を否定処罰するという姿勢が顕著です。「そうなろうとする前に」です^^;
それでは何も進みません。「こうあるべき姿」の内容はまあいいとして、実際「どうすればそうなれるのか」についての正しい理解と思考法をまずすることが大切です。
そうでないと、全てがその「先回り自己処罰」の焼き直しになります。「原理原則を理解する」しかり。「推進力ある自己像」を見出すしかり。「自分を愛する」しかり。
そうした、今の状態を改善させるための試みさえ、実際に何もやる前に、「そうなれてない自分」を否定処罰するということの、繰り返し。実際にやる前なので、「そうなれてない自分」なのは当然なんですけど^^;
ですからまず、この「こうあるべき姿に魔法のように今すぐなれていない自分を否定処罰する」という「癖」(^^;)をまず直すのが一番最初ですね。
で、その「癖」の代わりに、実際どうすれば「こうあるべき姿」になれるかの、正しい理解を図り、それを実践すればいいんです。
「こうあるべき姿」に近づくための方法として、「空想に自分を力づくで合わせる」というものから、別のものに転換する必要があります。D男さんご自身が、その今までの生き方では体が危険信号を出しているのを自覚していると思います。
それを「現実をベースにして向上する」という別の生き方に転換する。これは「治癒」として必要なことです。「空想優先」はやはり「障害」なんですね。
・・(略)・・
■「否定できる」ことで得ているものを明瞭にする
で早速、まずD男さん自身がはっきり自覚しておられる、
>誤ったポジティブ思考です。なので、恐怖も感じたら、すぐに自己否定自己処罰をする習慣があります。本当に自己処罰の名人です。
について検討して頂くのがいいと思います。
これについてまず2つのことを検討して頂くのがいいでしょう。
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まず、そのように自己否定自己処罰をすることで、D男さんは何を得ているかです。
実は、自己否定自己処罰が、価値を持っているわけです。だからそれをしているんですね。それをはっきりさせることです。そしてそれが続けるに値する価値があると本当に感じるのであれば、大いに続けるのがいいでしょう。
ハイブリッド心理学は基本的に「こうしなさい」とは言いません。その代わりに、「心にはこのような使い方がある。こっちを取るとこうなるし、こっちを取るとこうなる。あとはお好きなように」という説明の仕方が基本です。なぜなら、そうして「自ら選択する」ことが、「成長」の基本だからです。
それで言いますと、自己否定自己処罰にも、大いに価値があるわけです。
2つあり、やはり「自尊心」と「愛」という2つのテーマになります。
「あるべき通りになれていない姿」を否定処罰することで、自分が高い理想の持ち主だという「精神性の高さ」を感じることができます。またそうして否定処罰する相手に対する、優越感を感じることができます。
これは相手が自分自身である場合、「自分自身への優越感」になります。まあ「自分自身への破壊的優越感」ですね。
D男さんはこれのチャンピオンと言えるかもしれませんね^^;
そんな自分は駄目だと浮かんだとしたら、それがまさにそれな訳で..^^;
あと一つの「得ているもの」は、「愛を願う感覚」です。「自分なんて」と否定処罰する中に、奇妙に「甘い感覚」が伴うことに、気づかれるかも知れません。僕も大いに身に覚えがあります。
これは「自分なんて」と自己否定する姿が、やはり愛されることを願う感覚があるんでね。これが大抵、その「愛を願う感覚」は一瞬で過ぎてしまう一方で、自分を処罰するマイナスの結果だけは後続きするということになります。「現実」に残るのは、事実マイナスの結果だけです。
それを再び、「自分自身への優越感」から自己処罰することになるかも知れませんね。
そうした「自分自身への優越感」「愛を願う感覚」をしっかりと感じ取ることは、自己処罰を脱するのに役にたつと思います。
なぜなら、自尊心と愛を得るための、他のちゃんとした方法があるのですから。
「自己分析」「感情分析」への視点の開始
この説明で私は、この後の章で説明する「自己分析」「感情分析」の視点も開始したことになります。自分の感じていることや考えていることが一体どんな心の仕組みに該当することなのかと、自分自身の感情に対して客観的な姿勢で自分を理解します。
それを心の障害と治癒のメカニズムに沿って進めることが、治癒と成長への大きな役割を果します。ハイブリッド心理学の取り組み実践でも、この作業がかなり大きな比重を占めるものになります。
「自己否定」は実は「自分への優越感」という感情側面があります。
「怒り嘆き」には「苦しむ人間は高貴」という自尊心感覚がしばしば含まれます。同時に、それは親の助けを待って鳴き続ける雛をイメージするような、「愛を願う」甘い感情を時に含みます。
「自分なんて」という自己嫌悪感情に、そうした要素がないか、自分で感じ分けてみる。それがその脱却へと、心の根底において向わせる作用があるのです。ただしそのためには、本人の心の底に「心の自立」への芽が準備されていることが必要です。ここにまた大きな課題が出てくるわけです。
いずれにせよ、全てが、この取り組みが「人生をかけた取り組み」であることをD男さんが受け入れることから始まります。
私はこの長いメールの最後に、それを伝えました。
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■人生をかけた取り組み
そこから始めて、サマリーした「治癒」と「成長」の課題があるのですが、まずやはり申し上げておかなければならないのは、それは1日や2日でできるものではないということです。
D男さんがまず今受け入れなければならない「現実」とは、それだと思います。今週に間に合うように自分の心の問題の片を付けたいと考え、時間だけが過ぎるままそんな姿になれていない自分に、お得意の(^^;)自己処罰を向けるかも知れません。
そうした「生き方」を、根底から変換を図るのが、ハイブリッド心理学の取り組みです。
そうではなく、一瞬にして心の曇りが晴れるような魔法のような方法を望まれるのでしたら、別のものを探す方がいいかも知れません。
これは今後実際取り組んで頂きたい内容が僕としても大体見えてきた今申し上げ、D男さんご自身に「選択」して頂くのがいいと思っています。
ハイブリッドの取り組みを進める場合、どう見積もっても、あと2週間は、基本的な学習だけでも必要になると思います。
思考法の検討など実践を含むと、それがD男さんの復職に必要なレベルかどうかは別として、最低あと1か月は欲しいというのが正直なところです。
・・(略)・・
幸いD男さんにとっても、この「人生をかけた取り組み」はウエルカムのようでした。D男さん自身が、もう今までの人生の生き方では進めないことを、心底感じていたのでしょう。
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==D男さんから 2007.5.8(火)==
鋭い指摘と全体像が見えて嬉しいです。
私も人生をかけているので、今週までの解決など考えておりません。時間をかけても克服したいと思いますので、継続してお願い致します。
参考資料もお送りください。
>「先回り自己処罰」
言葉にされて、初めて実感します。私はこれの名人です。ハイブリッド心理学を学ぶ時、まず本当にこれで解決できるのか、と疑います。
そして、今までやってきた方法や経験はすべて否定します。「先回り&後回り 自己処罰」と言いましょうか^^;。
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>まず「健康形」についても、まず頭で充分に理解することが大切です。
健康形をぜひ知りたいです。気をつけたいのがその形をまた型にはまる癖です。
>自己否定自己処罰をすることで、何を得ているかです。
>「精神性の高さ」を感じることができます。「自分自身への優越感」
これはあります。私の中で「選民」意識があります。今は駄目でも、実はすごい能力の持ち主で将来大物になるなど。他の人間とは違うという考えです。
また、自己処罰によって得ていたのは、
・やる気を起こす。動機付け。負のパワー ・できない時の言い訳
・他人からの処罰の練習 ・体を壊して休める
・アイデアの創出 火事場のクソ力的
・他の苦しさから逃れられる。特に空想と混ぜると現実逃避できる
それにより
・体を壊す ・周り、社会が敵に見える
・中長期にわたり継続できない。無気力 ・つながりがなくなる。孤独感
・敵が自分なので24時間365日戦争状態
マイナスが多すぎです。
>「愛を願う感覚」です。「自分なんて」と否定処罰する中に、奇妙に「甘い感覚」が伴うことに、気づかれるかも知れません。
これはちょっとわかりません。
持病用の薬が近い感覚です。苦しい時ほど、恍惚感が味わえます。麻薬です。
この薬の習慣のせいか、結果をすぐに求める。早く楽にさせてくれ、となっているのかもしれません。
選民意識もコンプレックスの反動だと思います。
朝起きて会社行って、帰って寝るなど普通の暮らしは嫌いでした。サラリーマンなど軽蔑していました。
もっと大きな事業を起こして、世の中をアっと言わせてやる。
私は小さい頃、病室で空想するのが楽しみでした。
中高学校時代は島野さんと似ていますが、夜の町を俳諧するのが楽しみでした。
*島野の場合、正確には「夜の町を俳諧」というよりは「夕暮れの街をあてもなく歩く」という感じでした。
でも、元気に野山駆けめぐっている子や、部活で楽しいんでいる人たちがとても羨ましい。
もう戻れないから、せめて将来は大きな夢を実現してやるぞ、と頑張ってきた結果、今の姿です。型にはめて進んでも、自分に嘘をついても駄目なんですね。今までの人生も意味があった、必要があったと思える様になりたいです。
あと、このハイブリッド心理をやっていて難しいのは文字レベルでおこなっていることです。どうも、理解が難しいです。文字に惑わされるというか。
病院のカウンセラーにこういう話をして、一緒に理解を深めてもらうのもいいかなと思っています。
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どうでしょうか。
大きな目測ミスの発覚
さて、D男さんのこの返信は、私の指摘にもかなりの自己理解を示しており、治癒と成長の転換に向けて、実に「良い反応」を返しているものに一見して見えます。私もそれで、このまま力強い前進へと向えるという、かなり楽観的な気分で次の進め方を考えました。
とにかくここまで問題が見えて来たのですから、「現実をベースにして向上する」ためのより詳しい思考法の検討へと進むのがまず考えられることです。次はそこでどんな妨げが現れるかです。
D男さんの方は休職期間を6月末まで延長することにしました。これで時間も十分にあります。
それで私はさらに大量の資料をD男さんに送りました。1章と2章で紹介したA子さんの事例の資料など。
ところがこれが完全な私の目測ミスだったのです。
それが分かったのは、この「人生をかけた取り組み」へといよいよ船出しようとしてみて、どうも違う状況を示すD男さんのメールの文面を感じ始めてから、そう時間もかからないことでした。
港を出発した船の進路を定め速度を上げようと、私はD男さんに、いったん今までの話全体を踏まえての理解度や疑問点などの心の状況を尋ねました。それが進路策定への良い糸口になります。
D男さんの返信を見た私の印象は、「?」というものです。どうも違う。
私はこうした自分自身の直感を、非常に大切にしています。自分自身の治癒体験で蓄積したものと、相談者の方のちょっとした言葉が共鳴し、行間に潜むものを探るための重要な糸口になります。
この時も、そうした直感が働いたわけです。進め方をちょっと間違えているか? かすかに嫌な感覚がありました。
D男さんのメールはこんなものです。
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== D男さんから 2008.5.10(木)==
>一度D男さんの方で、この範囲まででの理解と疑問点などの整理をして頂ければと思っています。
その前にいくつか、正直な気持ちを書きます。こんなことを書いて、島野さんに見捨てられる恐怖もあります。
まず今までのやりとりおよび参考資料をプリントアウトしたところ、相当な量になりました。その上、慣れない言葉や表現があり、大枠はつかんだように感じますが、どこまで理解できたかは???。 意味はつかんでいると思いますが・・・。
私の質問もあっちこっち行っているので、それも混乱の原因です。現在は恐怖の感情と戦っているので、思考もよく働かないのもあります。
さて、どういう風に理解度、状況や気持ちをお伝えしつつ、進めるかなと相談したいです。
・・(略)・・
また、気になる順の項目もこんな風にまず書いてみました。
【1】不安、恐怖の感情が出て、体が緊張し、思考が働かない。1日のうちに4回ほど、恐怖に襲われる。1回1時間続く。「どうせやっても無駄だ」「働かなくていいのか」「社会復帰できないぞ」など
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とその時に言われたくない言葉が浮かぶ。