7章 痛みをただ流す・感情への「知性」の目 −感情を鵜呑みにせず感情を見る姿勢−

*初稿につき誤字脱字や変な「てにおは」は無視下さい。出版本までにさらに洗練予定!*

 

この章のまとめ

■実践項目■

「感情と行動の分離」を支える一連の基本姿勢の、「感情を鵜呑みにすることなく感情を見る」という内面向けの側面について、概要を説明の上、次のような具体的実践を取り上げます。

「痛みをただ流す」・・・「痛み」を嘆き強調することは、「苦痛」さらには「苦悩」への膨張を起こします。それを「痛みをただ痛む」姿勢によって、ただの「痛み」へと戻す。

「感情への耽溺」「感情の一人歩き」をけん制する ・・・ 現実的な中身を失った一人歩き感情を見分け冷ます。

感情を客観的に見る「純粋知性」・・・「理性で欲を抑える」のとは異なる、「知性」によって感情を把握し、「自己責任」において決断するという心の使い方を知る。より高度な「感情分析」実践への入り口。

「やる気」に頼らない行動習慣 ・・・ 「やる気」の勢いではなく、することの意義を客観的に判断して行動する姿勢の習慣をつける。

「中庸の目」・・・ より本格的な体得へ。「多面を同時に見よ。そこに未知が現れる」。「中庸」とは、多面を同時に持つ、一つの本質を感じ取ることであり、それは目に見えるものではない。見えないものを見るその「中庸の目」を「自分」に向けることが、「真の自尊心」への礎となる。

■実例■

D男さん ・・・「感情と行動の分離」の基本姿勢が身についたことで、頭痛が消えるという最初の治癒兆候が現れる。「中庸の目」の多面的な思考法ができるようになり、「脳がとろけてくる」。

 

 

D男さんの激しい身心疲労症状の原因

 

 D男さんが開始したハイブリッド心理学の歩みは、D男さんの心に潜んでいた、大きく2つの問題を明らかにしていました。

 一つは「現実に向き合うことへの恐怖」です。自分の過去を見返すための鎧を身にまとって生きることに疲れ、その鎧を脱ぎ捨てた時、露わになったのは、この世界を強く生きるすべを知らない、赤剥けのひ弱な心でした。まずはこれをこれからの成長へのスタートの原点として受け入れ、「人生をかけた取り組み」に腹を決めます。

 次に明るみに出た問題が、まさにそれに歩み出したD男さんの様子に示されました。自分をストレスで追い立て、「勢い」によってものごとをなそうとする姿勢。D男さんを休職療養に追いやったのはそれであったにも関わらず、今度は何とハイブリッド心理学を習得することへの意欲が、D男さん自身を押し潰そうとするストレスに化けたのです。

 危うくそれを見過ごすミスを何とかかわし、「一日にせいぜい2、3項目」そして「攻撃的休息」というアドバイスをすることで、D男さんにようやく「感情と行動の分離」の基本姿勢が身についてきます。

 

 実はこの2つの問題が組み合わさったもの、つまり「恐怖」、および恐怖をバネにして「自分にストレスをかけ勢いでものごとをなそうとする姿勢」という掛け合わせの相乗作用が、自宅療養を必要とするほどの強い身心疲労症状までも引き起こした、張本人と言える原因です。

 

「感情をただ流す」内面向け基本姿勢とストレス軽減

 

 「感情は内面でただ流し、善悪を問わず理解するのみとする。その代わりに外面は建設的なもののみにする」。この「感情と行動の分離」の原則において、「感情をただ流す」という内面向けの基本姿勢は、自分を追い立てるストレス症状の軽減に役に立つものです。

 ただしこれも単独の話で考えるのはあまりお勧めではありません。「ストレスを減らそう」と、自分の内面だけにじっと見入姿勢が、またストレスになるというパラドックス的な轍があるからです。

 やはり外面向けの姿勢と内面向けの姿勢のバランスが取れ調和したものがお勧めです。まず「感情を鵜呑みにすることなく現実を見る」という外面向けの姿勢を、しっかりとした(くい)として大地に打ちつなぎとめることによって、次に、感情の荒波から抜け出る方向へと舟をたぐり寄せることができるのです。

 

 D男さんの場合も、まずは外面向けの合理的で現実的な思考法からアプローチを始め、それを妨げている内面の問題が明確になり、今度はそれを焦点としたアプローチを行うという流れになったわけです。

 そしてその先に、最初に取り組んだ外面向けの思考法と、これから行う内面向けの基本姿勢の実践が、バランスある調和に至った段階で、内面のストレスが大きく減少を始める、最初の治癒効果が現れてきます。この後その流れを具体性に紹介します。

 

 このような治癒効果への取り組みは、「この手順で行けばいい」というようなワンパターンは、残念ながらないと考えるのが正解のように私は感じています。幅広く総合的な視点から、その人に合った取り組み手順を考えるしかありません。

 それでも、D男さんのように、総合的な視点を持った上で、まずは外面向け思考法へのアプローチを主導として次に内面向けの姿勢に焦点をあて、「感情と行動の分離」を支える外面向けおよび内面向けの一連の基本姿勢を習得することで、最初の治癒効果としてストレス軽減を図るというのが、かなり標準的な流れになるように考えられます。その先に、安定を増した状態の中で、さらに本格的な取り組みを内面もしくは外面の問題に対して実践するという流れになります。

 

内面向け基本姿勢の3つの側面

 

 「感情と行動の分離」を支える基本姿勢の、内面向けのものについて、概要を説明しましょう。

 4章および5章の表でもまとめた通り、主に3つの側面として整理しています。

 この3つの側面は、「病んだ心からの治癒と成長」への取り組み実践の、入り口から出口までの流れの3側面でもあります。私たちの心を惑わす「感情」というものに対して、この3つの姿勢を確立することに、病んだ心からの治癒と成長への道があるという、とても重要な視点になります。

 それはまず「足がかり」を得ることであり、次に治癒と成長への前進があり、そして最後に、病んだ心からの決別という流れです。

 それぞれを簡潔に説明しましょう。

 

(1)「悪感情の基本的軽減」

 文字通り、各種の悪感情についての、基本的な軽減法を理解します。ハイブリッド心理学がここで重視しているのは、小手先の思考法やポーズさらにはごまかしによって無理に一時的に気分を良くするのではなく、「心の医学」として合理的かつ継続的に実践でき、着実な効果があるものだけを厳選していることです。

 世に溢れる「気の持ちよう」には、得てしてそのような小手先思考やポーズによる、ごく一時的な気分改善効果しかないものが多いように私は感じます。「心の医学」として本当に確実と言える「感情改善法」はそれほど多くはなく、ここで説明するものにほぼ限られるというのが私の考えです。

 

 もちろん、「気分の改善法」としてできるのはあくまでごく表面の「軽減」であり、根本的な感情の改善は、さらに本格的な取り組みの先で生まれる、心の深い土台での治癒と成長の全体を通して生み出されるものです。

 それでもここで述べる「悪感情の基本的軽減」は、着実な効果があると同時に、「心の治癒と成長」への基本姿勢の一つともなり、実践の積み重ねを通して、一時的効果を越えて根本的改善へもつなげるための基礎土台になるものと言えるでしょう。

 

 そのような「悪感情の基本的軽減」として、具体的には4項目をあげることができます。

 @怒りと焦りの解除・・・まず軽減したい悪感情である「怒り」「焦り」への対処法。これまで説明している通り。

 A「痛みをただ痛む」姿勢 ・・・「感情はただ内面で流す」という「感情と行動の分離」の内面向け原則そのものがそのまま、「失意」「悲しみ」「苦しみ」など「痛み」感情の軽減に役立ちます。「痛み」はそれを嘆き強調する姿勢によって、「苦痛」さらには「苦悩」への質的膨張を起こします。それをただの「痛みを痛む」姿勢により、ただの「痛み」へと戻します。

 B悪感情への耐性・・・「耐性を心がける」という基本。悪感情の中にも有益なものがあるという理解と合わせる。特に、心の障害の根本治癒は、病んだ心が自ら崩壊するような悪感情を通るという仕組みがあります。これを知り、乗り越える先に、心が開放された根本克服があることを知るのが大切です。

 C主な悪感情への対処原則・・・「怒り」「焦り」に加え、「自己嫌悪」「罪悪感」「嫉妬」「憎悪」「フラストレーション」「自殺衝動」「無気力」など主な悪感情への対処と克服方向性を理解する。これが「自己分析」「感情分析」と合わせ、より本格的な内面取り組みにつながっていく。

 

(2)「感情強制の解除」「内面感情の開放」

 「悪感情」への取り組みについては、上述の軽減姿勢を足がかりにして、さらに「感情分析」を中心にした本格的な取り組み実践があります。

 ではその一方で、「良い感情」はどのように生み出すのか。どうしたら湧き出てくるのか。それについてのハイブリッド心理学の考えは明確であり、極めて重要な考え方になります。

 「良い感情」は、意識努力によって人工的に作り出すものではありません。自分の感情を良くしなければという誤った意識努力を捨て、心を解き放つことによって、いかなる人工的操作が生み出すものでもない、心の自然治癒力と自然成長力として、湧き出てくるものです。

 

 そのため、内面における基本姿勢として、「感情強制の解除」そして「感情の監視統制の放棄」といった姿勢を通しての、「内面感情の開放」という姿勢が重要になってきます。

 「内面感情の開放」は、心理療法の世界では「カタルシス」つまり「吐き出し治癒」のような治癒効果を持つものであることが知られています。一方、「開放」される感情は、必ずしも最初から良い感情だけでは済まず、人生の中で目をそらしてきた、真の恐怖や根深い自己否定感情が開放されるかも知れないのです。つまり「開放」はしばしば諸刃の剣になります。

 ですから、「内面感情の開放」についても単独で考えるのはあまりお勧めではありません。外面における建設的な思考法行動法や、根深い否定感情の根本的克服についての深い理解などを合わせた、総合的なアプローチを、ハイブリッド心理学では何よりも重視しています。それによって、「感情」とは別のところに拠りどころを持てるようにしていくと同時に、内面感情を解放することで、「良い感情」が増えてくるのです。

 

 この「感情強制の解除」「内面感情の解放」が習得されてくると、「感情」というものが、自分で良いものにしようと躍起になる、いわば絵の具を塗りたてるようなイメージのものから、淀みなく流れる川の流れのように、「流れ移るもの」として体験されるようになります。

 これが「感情」全体への健康な、最も基本的な姿勢になるものです。

 

(3) 「感情の放置」による「病んだ心の世界」への決別

 悪感情については軽減のための心の技術があり、より健康な感情については、心の自然治癒力と自然成長力の解放によって促されます。

 ハイブリッド心理学が見出した「病んだ心から健康な心への道」においては、それだけでは終わりにならない、もう一つの、感情に対する重要な基本姿勢があります。

 

 それは「感情の放置」とでも呼べる姿勢です。

 この言葉だけでは、「感情をただ流す」もしくは「感情強制の解除」や「感情の監視統制の放棄」と似た話に聞こえるかと思いますが、それを超えたものです。

 つまり「感情の放置」とここで呼ぶ姿勢とは、一つの「心」の中で感情にどう対処するかという姿勢を超えて、自分の中に幾つかの異なる「心」があることを感じ取り、その中にある「病んだ心の世界」への明確な決別をするという姿勢です。

 「病んだ心の世界」として自分の心に流れる、一連の感情の連鎖の全体に対して、一切の関わりをせずに、ただ放置する姿勢です。それらの感情は、「この感情をどうにかしろ」と訴えるでしょう。その声に耳をかすことなく、何もせず、否定さえせずに、ただ放置するのです。

 

 自分の中にある「異なる心」とは、「感性の違い」によって見分けられるものです。

 自分の心の中に、「感性」が異なる、まるで脳の構造が全く異なるような、別の心の領域がある。それを感じ取る先に、一つの「心」の中で悪感情を軽減し健康な感情を促すのを大きく超えた、自分の中にある幾つかの「心」そのものの取捨選択という取り組みが始まるのです。

  この「心そのものの取捨選択」取り組みは、「魂の感性」「人の目感性」の違いが分かってくる、「中期」の段階からの取り組みになります。その2種類の感性がそれぞれ、「健康な心の世界」と「病んだ心の世界」に対応するものです。

 「中期」の段階の取り組みは、「前期」からのハイブリッド心理学の一通りの取り組み実践に、この2種類の感性の違いの視点を加味するものになります。どの感性において、自分の内面にどのような感情が流れ、外面への思考法はどのように変わるのか。

 その先に、自分の生きる心の世界の主座を、明確に「健康な心の世界」に置くという「選択」が、「中期」の完了節目として訪れます。それが「否定価値の放棄」です。

 

 「感情の監視統制の放棄」をさらに超えた「感情の放置」姿勢が分かるようになってくるのは、「否定価値の放棄」を過ぎた後の、「後期」の段階に主になってくるでしょう。

 それは同時に、人間の心の業と真実を知る、味わいの深い体験になるでしょう。

 そこにおいて私たちは、私たち自身の心を壊そうとする、私たち自身の心の中にある深い罪とも言うべきものに、「否定破壊」という同じ轍を繰り返すことなく、ただ何もせず見つめたまま放置することによって、それとの決別を果すことができます。

 そしてその先に、やがて「病んだ心」が「健康な心」の命の鼓動の波間に消えていく、全ての解決を見ることができるゴールが見えてきます。これがハイブリッド心理学の見出した答えです。

 

 揺れ動く「感情」を「放置」できるようになるとは、別の観点から言えば、「感情」とは別の何かを、自らを生かす原動力として得ることを意味します。

 それは単に調整やブレーキとして働く「知性」「理性」を超えたものです。それが「感性」と「意志」が手を組み、人の心を大きく支えるようになるものであり、そのように成熟した心の土台を、ハイブリッド心理学では「魂の感性」そして「命の感性」と呼んでいます。

 この詳しい内容を、「3部 心と魂の終わりなき成長へ」で説明します。

 

 このように、一つの「心」の中での悪感情の軽減、および健康な感情の促しを超えた、「病んだ心の世界への決別」があるということは、この心理学の取り組みがやはり「この通りにすれば心が良くなる」と決められた手順を行う、受身の「療法」ではないという話につながってきます。

 つまり、最後に決め手になるのは、誰に言われてそうするのでもない、本人の「意志」だということです。ですから私はこの心理学を「心理療法」とは位置づけず、あくまで「自らによる心の成長」のための心理学だと位置づけています。

 

「痛みをただ痛む」・何もしない姿勢

 

 さて、D男さんの取り組み実践の内容に戻りましょう。

 「感情と行動の分離」の基本姿勢が板につき始めてきたD男さんでしたが、まず何よりも解消を図りたい目の前の問題は、自宅療養を余儀なくさせ続ける、激しい心身疲労症状でした。それは「ありのままの自分で現実に向き合う恐怖」と、「恐怖をバネにして自分をストレスで駆り立てる姿勢」との、相乗効果が生み出したものです。

 D男さんからは、引き続き心身症状が報告されました。僅かながら改善の兆しが見えてきたものの、相変わらず生活に支障が出るほどのものであることが察せられます。まずはともかく、このストレスを減らしたい。

 

== D男さんから 2007.5.13(日)2通目 ==

今の状況は、不安、恐怖の感情が出て、体が緊張し、思考が働かない。1日のうちに4回ほど、恐怖に襲われる。1回1時間続く。「どうせやっても無駄だ」「働かなくていいのか」「社会復帰できないぞ」などとその時に言われたくない言葉が浮かぶのは変わらずで、それを流しています。行動にはつなげていません。

 


以前より時短して、のんびりしてきた感じはあります。

今イライラしているな、不合理なことをやろうとしているなあ、とちゃんと感じてきました。

夜が寝られないのは困ったものです。その場合は軽い睡眠導入剤を飲みます。医師には抗不安薬をもらっていますが、薬は抵抗があります。

 

 心身疲労の回復のために、「ストレスを取り除きリラックスしましょう」と言うだけなら、心理学はいりません。事実、「リラックス」さらに「攻撃的休息」という話について、私はすでにD男さんにしています。

 それを超えた、ストレス軽減のための心理学的な知恵と、思考の技術が必要になってきます。それが、「感情を鵜呑みにすることなく現実を見る」という外面への基本姿勢から引き続き取り組むことのできる、「感情を鵜呑みにすることなく感情を見る」という基本姿勢です。

 私はそれを、「悪感情の基本的軽減」の中の「痛みをただ痛む姿勢」という話から、より本格的な内面取り組みである「感情分析」への入り口となる「自分の感情の論理を客観的に把握する」という話まで、単純な話からやや難しい話へと順にアドバイスを始めました。

 

 まずは「痛みをただ痛む」という、最も単純な姿勢の話からです。

 これは同時に、「いっさいの意識努力を捨てる」という姿勢の導入でもあります。これが「不安」「恐怖」「苦しみ」「悲痛」などの「痛み感情」全般において重要です。なぜなら、痛み感情を無理に解消しようと意識努力するストレスが消えた時、痛み感情そのものが本来持つ治癒への働きが発動し始めるからです。

 こうした「意識努力の放棄」は、「不眠」への対処にもなります。眠ろうと努力するから、眠れなくなるわけです。

 D男さんにとってこれらは、今までの人生で思ってもみなかったことのようでした。

 

== 島野から 2007.5.14(月)「体に任せる姿勢」==

■「苦悩」を「苦痛」にそしてただの「痛み」へと戻す姿勢

 

やはり以下あたりはまず軽減化したいですね。

>不安、恐怖の感情が出て、体が緊張し、思考が働かない。1日のうちに4回ほど、恐怖に襲われる。

>夜が寝られないのは困ったものです。その場合は軽い睡眠導入剤を飲みます。

 


とりあえず「流す」という話の延長ですが、“「苦悩」を「苦痛」にそしてただの「痛み」へと戻す姿勢”というのは感覚的に分かりますかねぇ。

サイト資料からの抜粋で、前に他の相談者の方に送ったメールですが、

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「痛み」は、それを嘆くことにより、「苦痛」になります。

「苦痛」は、それがない状態を「あるべき姿」と考え、それが実現するような救いがないことを嘆くことで、「苦悩」になります。

まずこの基本メカニズムが働いていないか。広範囲に自分の日常の思考を点検して下さい。

 

歯医者が好きとのことですが、痛みの受け流し方とか考えたことはありますか。

「痛いだろうか痛くないだろうか」と、痛みに精神集中すると、痛みが拡大されます。

痛む時に痛む存在として自分を受け入れると、苦悩は苦痛に、そしてただの痛みへと戻って行きます。

なぜ受け入れるか。僕の場合は、自分が動物だからと考えています。「こんな痛みなどあるべきではない」などと考えることのない動物のように、僕は痛みを痛もうと思っています。

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不安、恐怖、緊張の類も同じですね。不安があることに意識を集中して嘆くと、苦悶になります。怖があることを嘆くと、パニックになります。緊張を嘆くと、体が硬直します。

それを、ただ「不安が流れる」「恐怖が流れる」「緊張が流れる」だけに戻す姿勢。流れるに任せるという感じですね。

 

寝られないのを困ると、眠れなくなります^^; まさにその「困る」が、「意識活動」だからです。

逆に言えば、「困るために」には寝てはいられない。

 

これも、ある程度の就寝と起床時刻を決めたら、あとはなるように体に任せるのがお勧めですね。

眠れなくても目をつぶって横になれば、それなりに体は休息を取るものです。眠れなくて睡眠不足になったら、どこかで勝手に眠くなります。それをなるたけ、中途半端な時間帯ではなく定常的な就寝時間にお任せするようにする姿勢がお勧めですね。

 

== D男さんから 2007.5.15(火)==

>ただ「不安が流れる」「恐怖が流れる」「緊張が流れる」だけに戻す姿勢。

今はそうしています。衝動的な行動をしたい時は、その気持ちだけを流しています。

> 「体に任せる」という感覚が分かるか、ちょっと確認頂ければ。

気功を始めました。まさに「体に任せる」極意という感じです。

 

何もしないということは大事なんですね。

いつも何かをしないと落ち着かないわたしとしては目から鱗です。

 

 「心」が「何かする」時間だけの中で成長すると考えるのは、大きな誤りです。「心」は時に、私たちが頭をいっさい使わない時間の中で、勝手に成長をします。

 私も、原稿を書いていて、うまく文章がまとまらないことがあります。その時は、あまり無理に文章をひねり出そうとはせず、キーワードとそのつながりだけを頭にしっかりと放り込んでおきます。そして一晩眠って目覚めると、完成された文章が不思議と頭にすぐ浮ぶという感じに大抵なります。人間の脳というのは、見えない中で働く潜在力を沢山持っているのでしょう。

 そうした「何もしない中で起きる成長」を大切にし、それを否定するような思考法、そして無駄なストレスを捨てると共に、それを促す姿勢や生活習慣を取り入れるのがお勧めです。

 

「感情への耽溺(たんでき)」「感情の一人歩き」をけん制する

 

 「痛み感情をただ流す」「なにもしない」の次は、感情のストレスを減らすために、「何かする」ことです。

 まず、自分から積極的に感情のストレスを膨張させる姿勢がないか、確認するのがいいでしょう。まるで飛んで火に入る夏の虫のような姿勢。

 

 これは「感情への耽溺(たんでき)」「感情の一人歩き」の問題として捉えることができます。心のスクリーンに、「とにかく感情!」と目いっぱいに映しだして、他のことがまるで見えなくなってしまうのです。

 「痛み」が「苦悩」に化けるのも、この姿勢の結果と言えます。「感情」というのは、それに見入って強調すると、どんどん怪物のように化けていく性質があります。そしてしばしば、「感情」がそれに対応する「現実内容」をもはや持たずに一人歩きすることが起きがちです。

 まずはこれが自分の中に起きていないかを確認します。もしそれが起きているのであれば、その「現実との不釣合いさ」をしっかりと見据えることです。

 「正そう」とはしなくてもよろしい。「正そう」と考えると、また話が「ストレス」の振り出しに戻ってしまうからです。「正そう」とすることなく、「現実との不釣合いさ」をしっかりと見据えることで、自然とそれは鎮静化します。

 

 ただし「感情に見入り耽る」ことの全てが良くないことだとは、ハイブリッド心理学では考えていません。

 「感情に見入り耽る」のが有害になるのは、それが本来「外界現実への反応」として起きる感情の類である場合です。「怒り」「嘆き」がこの典型です。「怒り」に見入ることは、間違いなく「怒る自分への怒り」「自分を怒らせたものへの怒り」として自己膨張し、最後には何に怒っているのか分からなくなるような一人歩きになります。

 一方、「自発性の感情」に耳をすませ感じ入ることは、逆に心の成長と健康に望ましいことです。これは「楽しみ」「喜び」がその代表です。また、「悲しみ」の中にも、心の深い部分から湧き出る「自発性」の部分があり、それに感じ入ることが心の障害からの治癒において、根本的な役割を果します。

 そのように、感じ入ることが心の成長と健康にとり極めて重要な感情は、ハイブリッド心理学においては「魂の感情」として分類されるものです。詳しい説明を3部で行います。

 

 見分ける目を持つことが大切です。どんな感情が私たちの心を成長と幸福に導くのか。

 D男さんも今、それを学ぶ道の入り口に立っています。

 

「感情への耽溺」に求めているものを意識化する

 

 「感情への耽溺」「感情の一人歩き」を鎮静化するにあたり、実際の取り組み実践としては、それを把握し「現実との不釣合いさ」を自覚するだけでは、実はまだ不足します。

 さらに、「感情への耽溺」「感情の一人歩き」が何を求めているのかという積極的な意味を把握することで、初めてその「現実との不釣合いさ」とのトレード・オフが心の底の天秤にはかられ、無理に「正そう」とするのではない、心の底からの捨て去りが起きます。

 感情に耽溺することの中に、自分は何を求めているのか。一人歩きする感情は、何を目指しているのか。それを把握する実践がここに出てきます。話が少し、精神分析的なものに近づいてきます。

 

 私はD男さんへの「何もしない」の次の一歩として、先日「人生をかけた取り組み」だと伝えた時に同時に始めていた話に、再度焦点を当てました。「自己処罰感情」に耽る中に、「苦しむ人間は高貴」という自尊心感情や、「愛を求める甘い感情」は含まれていないか。

 その際にD男さんはこんなコメントをしていました。

持病用の薬が近い感覚です。苦しい時ほど、恍惚感が味わえます。麻薬です。

この薬の習慣のせいか、結果をすぐに求める。早く楽にさせてくれ、となっているのかもしれません。

 「感情への没入」傾向が、とにかく強く存在することをうかがわせる言葉です。

 もしその中に、「自分のことなんてもう忘れたい」という「忘我衝動」が含まれていた場合、今のD男さんであればそろそろそれを捨てることのできる段階ではないか、と私は考えました。それは自分を成長向上させる方法が何も分からない時に耽ることのできる、甘い感情ではあったでしょう。

 

 一方、何か大きなものに自分を委ねたいという、単なる自己放棄を超えた深い情緒があることも、人間の心の真実と言えます。「神」という観念も、そこから生まれたのでしょう。人間は不完全な存在であり、弱い存在なのです。

 そうした深い情緒を認める一方、「現実世界」においては、「自分なんて」と自己放棄したところで何も始まらない。

 心の中にあるものを、否定し正そうとすることなく、全てしっかりと見ることです。そしてその意味をしっかり見分けることです。そこに心の底から不合理なものを感じ取る部分があれば、それは自然と心の底から捨て去られていきます。これが「感情を鵜呑みにすることなく感情を見る」基本姿勢の、心の治癒と成長への作用の原点となるものです。

 

== 島野から 2007.5.16(水)==

>何もしないということは大事なんですね。いつも何かをしないと落ち着かないわたしとしては目から鱗です。

その通りですね