心理障害の感情メカニズム
2 二次心理過程
2.1 思春期要請とその帰結感情

(2)思春期要請の帰結感情

 思春期要請とは、ひとことで言えば、これからの人生を生きる一個の主体的人格として、自己への自信を獲得するという発達課題です。
 基本的不安からの発達をとげた個人においては、それまでは主に不遇な環境で生きる術のような形で、心理的には様々の不利をこうむりながらも、強迫的な追従・攻撃・離反の態度を性格として発達させていたわけです。

 それが今度は、この要請にかなうものかどうか、強烈に成長する自我によって自分自身を評価するようになります。
 ここにおいて、強迫的態度に潜んでいた心理的不利は、はなはだ芳しくない結果をもたらしています。

 その心理的不利とは、おさらいすると2つの側面になります。
 1)まず基本的不安そのものの、自信を損なう感情です。外界は敵であり、自分は無力である。自分は愛されない、等。
 2)もうひとつは、強迫的態度が発達したことによる、人格上の不整合です。人格傾向の分離、感情や記憶の抑圧、自己疎外、感情とアイデンティティの希薄化が始まっています。

 この結果、児童期を潜伏期間のようにしてその芽を発達させた過程は、ここに来て、以後の心理障害過程へのエネルギーとなる独特の感情を生み出すのを避けることができません。

 かなり多種類の感情から成りますが、次の3つのグループになります。
 この状況において同時に生まれるとも言えますが、感情の流れの意味も多少考えられますので、その順序で説明します。

1)自己不全感・自己不全不安

 まず思春期を迎え、「自分はどうなのだろう」という意識を持ったことへの直接的な感情が起きます。
 それは、これから自信をつけるべき自分が、何か基本的にそれが可能になる状態でないという感覚です。
 これを自己不全感と呼んでいます。

 これは恐らく、基本的不安とそこから始まる心理的不利のうち、「怒り」を除く全ての要素の総合的結果でもあるでしょう。
 意識的には、自分は駄目な人間だという卑下感情的な性質のものと、感情の枯渇や自己欺瞞を感じ取った人格不具者感的な性質のものがあります。

 またこの自己不全感に、基本的不安における不安感や恐怖感が結びつくことが考えられます。
 これを自己不全不安と呼びたいと思います。
 外界への不安が、「自分への不安」に変わる、つまり「自分がまっとうな存在になれないのではないか」という不安感に変わるものです。
 漠然とした不安感が外界でなく自分を対象に向けられるようになるため、この不安は以前に比べ切り離し無視することが難しくなると思われます。
 このため強い基本的不安を抱えたままの個人の場合は、この段階で「世界が崩壊するような」漠然とした不安感に駆られることがあります。

2)迫害感・嫉妬心・被虐感・憎悪・復讐心

 次に、自己不全感や自己不全不安の状況に対する怒り、他人への敵対的感情の一連の発生があります。
 ここでは基本的不安における怒りが前面となり、「自分を愛すべきであった者がそうしなかった」という怒りは、ここへ来て、「自分を育てるべきものがそうしなかった」という内容に変化します
 つまり、自己評価がはなはだ芳しくないことを怒る感情が、そのような自分を作った人間に向けられるものです。
 つまるところそれは自分の来歴への怒りであり、人生への怒り、という性質の感情になります。

 迫害感は、自分の置かれた状況全体への感情です。
 自分だけがのけ者にされ、愛されなかった。良いものは回りにだけ与えられ、自分だけ与えられなかった。楽しみの場から自分ははじき出された。安住の地から追放され、迫害された。
 嫉妬心は、この世界観の中で、恵まれた他者を羨望とフラストレーションと共に見る感情です。

 被虐感は、自分へ加えられた苦痛や虐待的行為による被害感です。
 未解消の恐怖感や苦痛感が自己不全感と結びつくことで、「自分は見捨てられために人格が壊された不具者だ」という感情がありありと湧き出るようになります。
 外界の人間は残忍な強欲と無神経と邪悪さで自分を犯し破壊した。自分はその被害者である。

 迫害感と被虐感は多少混ざりやすい感情です。
 実際の虐待など、苦痛度の高いトラウマ的感情が残るほど、被虐感的感情の方が前面で目立ってきます。
 迫害感や嫉妬心は人生全般への感情として、背景的に、心の底流に流れ続ける感情になります。

 憎悪は、これらの苦境の見返りとしての攻撃性が他人へ向かう基盤となる背景的感情です。
 自分を駄目にした人間達へ向けられる、敵意にさらに暗陰とした気分を加えた感情。

 復讐心は、憎悪を背景に発生する、他者への見返し行動への衝動です。
 その本質は、自分が味わったのと同じ、もしくはそれ以上の苦しみを相手に与えることと、その結果としての勝利を得ることです。
 成功すれば、気分が晴れる高揚感に浸れる、という報酬感情が派生的に生じます。
 一方失敗すると屈辱感の反応が起きます。この屈辱は元からあった怒りや憎悪と結びつき、雪だるま式に憎悪感情を助長する性質があります。

 憎悪と復讐心はセットの形で生まれます。憎悪が激しいほど復讐心も激しくなり、実際に他人への危害行動が発生する危険が高くなってきます。
 憎悪と復讐心は、上の苦難感情における被虐感の割合が大きくなるにつれて、強度を増します。
 被虐感は薄く、背景的迫害感のみがあるケースでは、他人への直接危害行動はまれですが、冷笑皮肉など精神的攻撃衝動として、やはり背景的に作用します。
 また、憎悪や怒りは心身ダメージの高い感情であり、自律神経系へのストレスを起こします。この結果、意識下で苦痛感や被害感も助長されている、つまりこの一連の感情全体の悪循環的増長が起きることが特筆できます。

 他者への追従・攻撃・離反という3種類の基本態度のそれぞれで、これら一連の敵対感情に対して異なる態度が取られます。

 追従型態度では無力感が強調されるため、「自分が被害を受けた」という感情面が強調されます。
 自分は見放され置き去りにされた人間である。見捨てられ感情。苦痛に耐え忍ぶ感覚が強調されるため、被虐感が大きくなります。一方で、「愛される性質」に反する憎悪や復讐心は抑圧されます。嫉妬心の抑圧は不十分であり、しばしば意識に強烈に漏れ出します。
 攻撃型態度では、怒ることによる力の感覚が強調されます。憎悪や復讐心が前面となり、迫害感や被虐感は背景化します。「他人を羨む」ことは自分が下になる危険があるので、嫉妬心は抑圧の対象になります。この結果、人の持つ価値を踏みにじり壊す、あら捜しをする、等のサディズム型攻撃性に近い態度が現われるようになります。
 離反型態度では、これら一連の感情が比較的単純に切り離され無視されます。意識上最も現われるのは、嫉妬心との戦いでしょう。他の人の持つものを良いと思わなければ、自分の苦境を人と比べて嘆く必要がなくなるからです。これによって感情の平静を守る一方で、自己不全感は他の態度の中より強烈な空虚感・虚無感となって現われるようになります。

3)報復的愛情・魔術的愛情への要求

 最後に、このような思春期要請とその結果が、今だ吸収消化されることのない愛情要求の中で起きていることを考える必要があります。
 愛情への要求はこれまでの心理過程の全ての原点とも言えるものです。
 健全な心理発達においては、それが満たされることによって、基本的安心感が根付き、「それがなければ生きていけない」という必須性はもはや消え去って行きます。
 一方基本的不安から発達した個人の場合は、自分への自信が未発達である程度において、「生きるために必要なもの」という形での愛情への要求が残り続けるものと考えています。

 持続する愛情要求は心理障害の方本人、そして治療者の双方によりしばしば自覚されます。
 これがどのように克服されるべきものであるのか考えることの違いによって、心理障害の治癒についての基本的な考え方が大きく変わってくるでしょう。

 私たちが取りえる考え方の選択肢は2つです。
 a)児童期を越えて残る愛情要求についても、遅まきの形ではあるが偽りない愛情を充分に与えられる必要がある。それが得られて安心感が根付くことで、障害が回復する。
 b)児童期を越えて成長した個人は、その年齢に応じた発達課題が、やはり心理障害状況においても課題である。それは愛情を与えられることではなく、人格を統合し、社会の中で生きる主体性を確立することである。それに応じて変形持続した愛情要求は消え自然な愛情への潜在力が生まれる。もしそこに愛情が必要だと言うのならば、何よりも必要なのは自分自身への愛情である。
 このサイトでのスタンスは後者です。理由は、正確な治癒事例観察では、前者のようなケースはなく後者のケースが一般的だからです。

 このようなスタンスを取ることとも歩調を合わせる話になると思いますが、基本的不安からの発達過程の後に残る、やはり強迫的性質を帯びた愛情要求は、人の健全な愛とは別ものという考えを取っています。
 それは本来愛ではない目的を帯びたものであり、その結果、「普通の愛」によっては満たされずフラストレーションを起こしつづけるような、独特の愛情要求へと様がわりします。

 この変形した愛情要求には2種類があり、愛という出口は同じであるにもかかわらず、心理的ベクトルとしては全く相容れない性質を持っています。
 このため人の恋愛における心の変調にしばしば絡むものです。

 i)報復的愛情への要求
 愛情要求の変形は、児童期においてもある程度始まっています。
 その一方向は怒りの方向であり、自分が正しく愛されなかったという怒りを込めて、さらなる愛を求めるという心理です。
 普通の愛情はもはや彼彼女が求めるものではなくなっており、不安発達過程にある子供が他者の愛情を受け入れなくなる原因のひとつが、ここにもあります。
 これが攻撃型態度の哲学と、その本質目標である勝利と結びついた時、他者の愛情を得ることが戦利品のような価値を持つものとして渇望の対象になります。
 ここでは自分が上に立つのが基本態度なため、愛においても自分が指導者的立場であることが求められます。
 また他者に愛されることが、その相手を下に見る、軽蔑するという感情を伴うものになります。
 ここでは「愛された者が勝ち」であり、「愛した者は負け」です。

 ii)魔術的愛情への要求
 こちらは追従型態度における無力感と庇護への要求が愛情要求と結びつきます。
 これまで述べた全ての不都合を、より強い相手の愛情の中で自分の身を委ねることによって全て解決したいという願望が生まれるようになります。
 それは自分を年齢に見合った人間として生きる自信を一挙に与えるような何か、つまり彼彼女そのものを別の人間へと変えてくれるような愛情への要求です。
 過去の生育履歴そのものが間違いであり、正しい履歴へ過去を書き替えてくれるものであるかのように愛情を求める感情です。
 この愛情の対象となる相手は、しばしば普通の人間を超えた存在として映ります。神や聖母といったイメージも良く見られます。
 言葉はいくつか考えられますが、ここでは魔術的な愛情への要求と呼んでおきます。

 これらの愛情要求は、報復型については攻撃型態度、魔術型については追従型態度と、基本的には結びつきやすいものです。
 ただし相手へ近づく、愛を得るという欲求においては混在しやすく、基本的態度とこの愛情要求の組合わせは様々です。
 またしばしば愛が人格傾向の変わる係争ポイントになり、ドラマとも言える人間心理の変化が良く起きます。

   *    *    *

 以上、基本的不安から始まって、思春期要請の結果生まれる様々な感情を説明しました。
 ここまでは、全ての心理が心理障害以外にも発生し得るものです。
 基本的不安は現代においては、全人において程度の差はあれ不可避であり、基本的対人態度の強迫性や、その後の独特感情を千差万別の組合わせと強度で心の中に残しているでしょう。

 それらがどれほど極端であっても心理障害とは言わないのは、心理障害を決定付けるある病理の要素がまだここではないからです。
 これまでの病理特性とは、基本的不安そのものであり、その結果としての自己疎外人格傾向の分離でした。
 それにもうひとつの病理特性が加わったものが、心理障害過程として次の発達過程に向かうものです。
 その特性とは「現実からの乖離」です。
 それに向かう過程を次に説明します。


2003.7.24