心理障害の感情メカニズム
2 二次心理過程
2.4 プライドの感情メカニズム

(1)自己操縦心性におけるプライド

 自己操縦心性には表の顔と裏の顔があり、表の顔が「プライド」裏の顔が「自己嫌悪」です。
 この2つの顔は、意識においては、時に全くつながりのない感情として体験されます。
 ここでは自己操縦心性におけるプライドの基本的特徴と、健康な心におけるプライドや自信との違いについて説明します。

プライド感情

 プライドは、高い自己評価を示す感情一般を指します。
 これには3つの側面があります。
 1)高い基準に自分が到達しているという感情。一流大学や一流企業、美人、強いリーダーシップ、人格者、会話上手、etc。これは、「世界の中で自分は大抵の人からは肯定されるだろう」という自信感というものでしょう。
 2)優越感と勝利感。明瞭に自他を比較し、自分が優越し勝っているという感覚です。
 3)人格完成感。最も漠然としたプライドです。基準への到達とか優越ではなく、自分自身の「出来」を感じる感覚です。自分がまとまってよく出来ている人間だという感覚。これが損なわれる場合は「自分が出来の悪い壊れ物」という感覚になります。
 こうしたプライド感情には、高揚感喜びの感情が伴います。

 これ自体は、自己操縦心性も健康な心も変わりはないと考えています。
 またこうしたプライドを求めて活動すること自体は、何の病的なことでもないと考えています。最たるものはスポーツでしょう。
 多々ある、人間を幸福にする感情の中の一つです。

自信とプライドの違い

 プライドに良く似て全く異なるものに「自信」というものがあります。これについても簡単に説明しておきます。
 言葉の違いではなく、感情としての違いです。幾つかの言葉が、微妙に、このどちらを指しているのか、言う人によって違ってきますので、どっちの感情を言っているのか解釈し直せるようにして下さい。

 自信は、ここでは、自分への信頼感を指します。
 信頼するとは、信じて頼める、つまりあれこれ意識しないで、それに任せて行けば、良い結果が出るだろうという感覚です。
 プライドとの決定的な違いは、自分を見て評価するという面が全くないことです。
 むしろ自信は、「評価するまでもない」という感覚であり、自分を評価する作業がなくなり、自動的に湧き出る感情のままに行動できる心の状態を指します。

 プライドは意識的なもの、一時なものであり、自信は意識背景的なものであり、継続的なものです。
 心の健康にとっては、当然のことながら、自信の方が重要です。さらにいえば、プライドは心の健康に関係がありません。
 健康とは私たちの活動の土台としての心身の状態を言う話です。自信はこの心の土台の話です。プライドはひとつの活動の話です。
 プライドと自信の違いについては、「自己建設型」の生き方への「9.自分への真の自信の確立」でも述べていますので参照下さい。

自己操縦心性におけるプライドと健康なプライドの違い

 自己操縦心性におけるプライドは、プライド感そのものが健康な場合と違うというよりも、その現れ方に違いがあります。
 ここでは4つ挙げておきましょう。

 1)復讐的優越衝動との結びつきが強いこと
 自己操縦心性におけるプライドは、思春期要請の帰結として発達した、強烈な優越衝動の積極的はけ口として機能します。
 基本的不安から育った人間にとって、優越することだけが自信の源であり、この衝動は死に物狂いともいえる強さと執拗さで心の底に流れています。
 同時にこれは怒りや憎悪からの復讐的勝利への衝動という破壊的衝動のはけ口にもなります。
 このため、怒りを抑圧する傾向の大きい追従型態度の中では、プライドは求めるものであると同時に抑圧すべきものを含むものであり、ブレーキをかけながらアクセルをふかすように、プライドの高揚感に強烈な疲労感がしばしば伴います。
 頭痛はこのストレスが身体化する場合の典型症状のため、原因の分からない頭痛についてはこのメカニズムの作用を疑ってみるのも一つの手かも知れません。

 2)極端な完璧感情と自信感の欠損
 これは彼彼女の自己評価方法が重ね合わせ思考に頼っていることの結果です。
 そこには理想像に完璧に一致するかどうか、白黒をつけるという極端な見方しかありません。
 この結果彼彼女のプライドには極端な完璧感が伴います。
 しかしこれは極めて許容範囲の狭いプライドであり、少しでもずれると崩れてしまいます。
 この危うさのため、彼彼女は理想化された自己像と現実の自己との比較を絶えず行なって、このずれを防がなくてはなりません。
 追い立てられるような絶え間ない自己評価に心が占領されます。これはむしろ自信が欠損した状態になります。
 このためどんなに自分が完璧な人間だという高揚感にひたっても、彼彼女の心は安定を知らないのです。

 健康な心でのプライドは、必ずしも自己理想像との重ねあわせだけでなく、人間の基本的限界人間世界の多様性を踏まえたものです。
 つまり多少の汚点はあってもまあまあいいだろうとも感じるし、優越などもそもそも相対的なので、ほどほどで十分だと満足できるものです。
 このように多面的に見れるということは、中庸の見方ができるということです。
 自己操縦心性には、この中庸というものが全くありません

 3)傷つきやすさ
 自己操縦心性に駆られた個人のプライドは、その極端な完璧感と裏はらに、極めてもろく、傷つき安いのが特徴です。
 これは2つの理由があります。
 1つ目に、上に述べた重ね合わせ思考により、許容範囲が狭いことです。少しの汚点だけで、彼彼女のプライドはしゃぼん玉のように見事にあっけなくはじけてしまいます。
 2つ目。これが最も根本的かつ重大な話でしょう。
 それは、この自己操縦心性が現実離断、つまり現実は駄目なものなのだという三くだり半の突きつけによって発動していることにおいて、現実の自己は実は理想的自己像とは別物なのだという認識が内包されていることです。
 そもそも、そうだから、理想的自己を空想して現実といつまでも比較しているのです。
 そして自分が理想像と一致したという高揚感において、この全体の状況を意識から捨て去る。
 これが理性思考の未熟さということではなく、現実覚醒の低下した心性として用意されたメカニズムとは、恐るべしです。
 どんなに理性の高い人でも、この自己欺瞞をまぬがれないのです。理性が騙されているのでなく、感情が騙されてしまいます。

 彼彼女が現実に踏み出すことは、「駄目な現実」というこの心性の裏の感情が待ち構えている場に出ることを意味します。
 空想の中で感じたプライドが、現実の場に出てはじけ散るまでのスピードは、しばしば光の速度なみです。
 このため彼彼女はしばしば「現実」そのものを嫌います。
 現実覚醒の低下したこの心性が優勢になると、やがて現実が嫌いなものどころでなく、現実というものそのものの存在が危うくなってしまいます。

 傷つきやすさの説明としては、先に述べたように、それが自信を伴わないという話も一般的背景として言えます。
 また、次のトピックで説明しますが、プライドの維持方法として他人の評価に依存する方法を取ると、当然のことながら自分ではプライドが維持できないので、この人物の傷つきやすさも顕著になります。

 4)健康な自信への移行がないこと
 最後の違いですが、健康な心におけるプライドは、やがて確固たる自信に移行し得るものです。
 自己操縦心性においては、自信への移行がありません。これは構造的にそうだと言える根本的な話です。

 そもそも、「あえて自己評価するまでもない」自信に至る能力とは、私たちの何に関するものでしょうか。
 たしかに、人並み外れた才能とか美貌があれば、それについてはプライドが揺らぐことも少なく、自信にもなると言えるでしょう。
 これは外的資質と言われる部類の話です。内面とは一応関係のない能力の話です。
 外面的な資質については、プライドと自信は明瞭に異なるものではなく、そのままつながり安いものと言えます。
 しかし私たちはどんな特別な外的資質に恵まれたとしても、ショーケースに飾られて生きていける存在ではありません。
 「比較競争をしない自信」などという高尚な話はやめておいて、一般的な人間にとって幸せな人生を歩めるために欲しい自信とは、外面的には経済的な自信であり、社会的評価の自信であり、内面においては良い人間関係を持てる自信であり、生きがいを感じられるような生産的な活動をできる自信でしょう。
 そして現代社会において、経済的・社会的自信への道は比較的分かりやすいものです。
 自分の能力を生かした仕事なり家庭を築くことなり、それに向かって努力し、その成果で大体決まります。

 一方内面的な自信は、現代社会人にとって外面的な自信以上に大切な課題とも言えるでしょう。
 人間関係や様々な活動においても、良い結果を出せるような行動はあるものです。積極性とか明朗さとか、親しみ安さとか。
 こうした内面的自信の領域では、プライドと自信にかなり違いが出てきます。
 意識的努力によって、自分の行動をコントロールして、「自分はうまくやっている」というプライドに至ることはできるでしょう。
 しかし意識的な自己評価と努力をしている内は自信として定着していません。
 自己評価と努力をしなくてもうまく行くという自信になるための条件とは、内面に湧き出る感情に任せられるということであり、自発的欲求に基づく行動であることです。

 自己操縦心性においては、理想化された自己に現実の自己を合わせるという生き方において、内面の本当の感情が切り捨てられる自己疎外が起きています。
 つまり行動は自発的欲求に基づくものではなく、自己を操縦することが行動です。
 このため、自己操縦心性によるプライドへの努力の過程では、少なくとも内面的資質については、自信へ至ることは構造的とも言えるほど不可能なのです。
 人間の内面的な自信の源泉は、真の自己による、不安からの回避という性質のない、自発的感情です。


 自己操縦心性によるプライドは、このように、許容範囲も狭く、傷つきやすく、自信に変わることもない一時的な報酬感情に過ぎません。
 それでもこの心理過程にある個人がプライドに取りつかれるのは、単純に、それしかないからです。
 この一時的プライド感が、内面の不安と不具感を消去する脳内麻薬として機能します。
 背景には、根本的克服を避けごまかし続けて来た悪感情があり、それを消し去ることへの要求は持続的な緊迫感の下にあります。
 そこで自己の運命を担った自己操縦心性の、唯一絶対の命令が、「プライドを維持せよ」ということなのです。

 多くの心理障害の方が、自分のことを「傷つきやすいのに、妙にプライドが高い」と感じます。
 これは、性格の問題などではなく、心理障害のメカニズムそのものです。


2003.8.9